夏祭り│02

「できれば早々に、と思っています。もちろん、将来を見据えてのことです。私の家は会社まで徒歩圏内ですし、櫻花さん も今よりだいぶ通勤が楽になると思うんです」
 その言葉に櫻花は驚いたが、ここで余計なことを言っては台無しにしてしまうと思い、いかにも自分もその話に賛成していますといった顔をしている。
 櫻花の両親は明らかに驚きを隠せていない。ただ、娘ももういい年齢であること、また、相手が誠意を見せている点などから、反対する理由が見当たらないと いった感じで、さてどうしたものかと頭を悩ませる。
「会社まで歩いて行けるのはいいよねぇ。通勤ラッシュとか関係ないもんね。よかったね、櫻花」
「櫻花ちゃんが一人で暮らすより、岡崎さんと一緒に住んでる方が何かと安心よねぇ」
「でも櫻花の会社って西新宿だったよね?そんな所に歩いて行けるなんて、岡崎くん一体何者なの」
「それは確かに気になるわね」
 一方の兄夫婦はというと、二人の同棲を前提にあれこれ話を弾ませているうちに、岡崎のバックボーンが気になり始めたようだ。確かに、西新宿まで徒歩圏内 など家賃が相当に高いだろうし、一体どういう人物なのか気になるのも仕方がない。
「言ってなかったけど、威夫さん私の上司なの」
「あらあら、上司が部下に手を出したんですか!きゃー、やだ萌える」
「百合ちゃんは恋愛小説の読み過ぎだよ。で、上司って?」
「去年から課長職を勤めています」
「課長さんってそんなにお金貰えるの?」
「いえ、実は母方の実家を継ぎまして。昔からの住民なんです」
 兄夫婦は「なるほどねえ」と納得しているが、櫻花はヒヤヒヤものである。それは嘘ではないが、大事なことは何一つ伝えていないからだ。継いだのは家だけ ではないし、そもそもその家も恐らく昔は大豪邸だったのだろうし、昔からの住民と言っても岡崎が実際そこに住み始めたのは十年そこそこの話である。
 だが櫻花は、実家のことも含め全てをつまびらかにするタイミングというのは、本人である岡崎に任せた方がよいだろうと考えた。そして、その件については 口を出さないことにした。その時の反応が心配ではあるが、それよりも今は先ほどからボソボソと何やら相談をしている両親が出す結論の方が怖い。
 ようやく相談が終わったらしい両親が、こちらを向いた。その改まった様子を見て、櫻花と岡崎も自然と背筋が伸びる。
「岡崎くん、櫻花のことをよろしく頼むよ」
「はい、もちろんです。ありがとうございます。櫻花さんの引っ越しが終わったら、一度遊びに来て下さい」
「そうさせてもらうよ」
 意外とあっさり許可を得られたことに安堵しつつ、きちんとフォローも入れるあたり岡崎はやはり抜け目がない。
 課長ともなるとその辺りの強かさも必要になるんだろうな、目指す山はどこまでも高いなあ、などと暢気なことを考えていた櫻花だったが、同棲することにつ いて何も聞いていなかったのを思い出した。これは後でしっかりと話し合わなければならないだろう。
 岡崎とて何の策もなく内緒にしていたわけではない。いくら櫻花が押しに弱いとはいえ、こんな重大なことに関してそうそう首を縦に振るとは思えない。それ ならばいっそ、先に両親に許可を得てしまった方が説得もしやすいと考えたのだ。
 将を射んと欲すればなんとやらで、まず馬を射ることに成功した岡崎は、将の心はじっくりと時間をかけて射貫く心づもりでいる。
 ここに挨拶に来た一番の目的を果たしてほっと一息ついている岡崎に、今度は子供達二人が容赦なく襲いかかる。
「ねえおじちゃん、どうやってそんなに大きくなったの?」
「まふゆもおっきくなりたい」
「そうだなあ、いっぱいご飯を食べて、いっぱい遊んで、いっぱい寝たらこうなったよ」
「でもママ、わたしのきらいなものばっかりつくるんだもん」
「ねー。ぴーまんきらーい」
「好き嫌いしてたら大きくはなれないな。どうして大きくなりたいの?」
「ようちえんでいっつもいちばんまえなんだよ?もっとうしろがいい」
「まふゆはねえ、やきゅうせんしゅになるのー!」
 その言葉を聞いて、岡崎の動きが止まるのを櫻花は確かに目にした。それはほんの一瞬の出来事で、恐らくこの場にいる他の人は誰も気付いていないだろう。 それほど僅かな間だったのだが、その間の意味を読み取れないため、下手に口を挟むわけにもいかず不安になりながら話の行方を見守るしかない。
 その岡崎は、すっかり懐いてくれている眞冬を抱え上げて膝に座らせると、しっかりとその目を見て言った。
「よし、じゃあ今度おじちゃんが野球を教えてあげる。そのかわり、好き嫌いをしないでなんでも沢山食べること。それと、早くねんねすること。約束でき る?」
「うん!そしたらほーむらんうてる?」
「打てるよ。眞冬くんはどこのチームが好きなの?」
「んとねー、しゃいんず!」
「そっかそっか。おじちゃんもシャインズ好きだよ」
「ほんとー!?いっしょだね!」
 何やら二人で盛り上がっている。
「今度一緒にシャインズの試合観に行こうな」
「うん!」
「でも、パパとママがいいって言わなきゃ駄目だぞ?」
「わかった!」
 ピシリと手を挙げて答える眞冬を、岡崎が膝から降ろして「ほれいけ」と解き放つ。眞冬は両親のもとに駆け寄ると、拙い言葉を使ってなんとか今の話し合い の内容を伝えようと頑張っている。
 ひとしきり話して満足した眞冬が、大仕事をやり切った満足げな顔でニコニコと笑っている。それを確認して、岡崎が櫻花の兄夫婦に頭を下げる。
「すみません、二人で勝手に決めてしまいました。もしよろしければ、うちに遊びに来るついでに、と思っています。もちろんチケットはこちらで手配いたしま すので、ぜひ眞冬くんにプロの試合を見せてあげて欲しいんです」
 そう告げる岡崎の顔は真剣そのもので、本気で眞冬に野球を教えたいというのが言葉の端々から伝わってくる。そのため両親もこの場で断るということが出来 ず、一度家族で話し合ってから、と答えざるを得なかった。
 驚いたのは櫻花も同様で、甥っ子との会話を一人前の人間との話し合いとして扱うことも、その話をきちんと聞いて受け止めてくれたのも、意外と言えば失礼 だが、そういうタイプには見えなかったので、しばらく言葉も出ない状態だった。
 そもそも、彼の実家に行った時に甥っ子姪っ子と接している姿を見たが、あの時はかなりぞんざいに扱っていた。身内とよその子というのを別にしても、もう 少し“子供を相手にしている”という態度なのかと思っていたのに、三歳児を立派な一個人として扱っている姿を見て、この人と結婚したら幸せになれるだろう な、とふと考えてしまい、一人赤面する。
 結婚という二文字が夢ではなく現実味を帯びてきている今、ちょっとそれを想像するだけでとてつもなく心臓の鼓動が速くなるのだ。
 そこへ、ぴよぴよ、と少し変わったチャイムの音が聞こえてきた。
「岡崎くん、ちょっと席を外させてもらうけどどうぞごゆっくり」
 そう言いおいて父・宗春が中座した。その後ろ姿を見送った岡崎は、そこでようやく気がついた。宗春は着物姿だったのだ。
 白い着物に紫の袴を穿いた神社でよく見る神職の出で立ちで、緊張やその後の緩和ですっかり頭から抜け落ちていたが、櫻花の実家は神社で、彼女の父と兄は 神職なのだ。
「あの、お父さんはどこへ?」
「今の音は社務所のチャイムよ。参拝者さんがいらっしゃったんじゃないかしら」
 母・千代子の答えに、岡崎の興味は神社に移る。先ほどは両手に荷物を持っていたから軽く頭を下げただけだったが、ここはきちんと参拝した方が良いのでは ないのかと思えてくるのだ。
「ちょっと外に出ます?」
「いいのか?」
「もちろんです。神様にちゃんとご挨拶したいんですよね?」
 まるで心を読んだかのような櫻花の言葉に少し驚きながらも、岡崎は素直に頷いた。
 二人は玄関を出ると、手水舎で手と口を清め社殿に向かう。本殿はそう大きなわけではないのに、荘厳さに圧倒される。中は祭壇の手前にスペースがあり、祈 祷を受ける時などに入れるようになっている。
 二礼二拍手の後、所在と氏名を述べここに来られたご縁を感謝する。だいたい神社に参拝する時は感謝をして終わりなのだが、今日の岡崎はここからが長かっ た。
 ここの神社で生まれ育った櫻花と結婚を考えていること、また、それはそう遠くないことなどをきちんと報告し、最後に一礼してようやく両目を開けた。
 ふと横を見ると櫻花がふんわりと微笑んでいて、岡崎は早くこの笑顔を自分だけのものにしたいと強く思った。
「ずいぶん長かったですね」
「色々と報告しなきゃなんねーだろ?それでな」
「お願いではないんですね」
「俺だってもういい歳してんだぜー、神様にはお願いするもんじゃねえってことぐらい知ってるっつーの」
「ふふふ」
 なぜか頬を赤らめている岡崎を見て、櫻花はついつい笑いを漏らしてしまう。それはもちろん嬉しさからくるもので、からかいの意味など含んでいないのだ が、岡崎にはどうやら面白くなかったようだ。
「いつまで笑ってんだよ!ほら、境内案内しろー」
 照れ隠しのようにそう言うと、改めて一礼すると櫻花の手を引いて本殿の脇へと向かう。そして、小さな摂社、末社全てに挨拶を済ませると、ようやく社務所 にたどり着いた。そこには宗春が座っていて、ニコニコと人好きのする笑顔で二人を迎えてくれる。それは先ほどまで居間で対峙していた時には見られなかった もので、やはり自分は歓迎されていなかったのかと、さすがの岡崎の心もちくりと痛む。
「岡崎くん」
「はい」
「改めてお願いする。櫻花のことをよろしく頼むよ」
「……はい」
 しっかりと目を合わせ満面の笑みで言われては、さすがにそれが嘘だとも思えない。先ほどからちくちくしていた心の痛みがすぅ、と引いていく。我ながら現 金なものだと思うが、人というのは皆そういうものだと開き直る。
 それからお守りを授与してもらい、再び玄関から家に入る。待ってましたとばかりに葵と眞冬が飛んできて、遊んでくれと纏わりついてくる。
 二人と思い切り遊び、昼食を食べ、明日の浴衣の準備をしたところで宿にチェックインする時間が迫ってきた。
「では、明日また伺います」
「待ってるよ」
「ほら、二人ともバイバイしなさい」
「おじちゃんまたねー!」
「またねー!」
 ぶんぶんと手を振って見送ってくれる子供達に手を振り返しながら神社を後にする。
「ずいぶん懐かれましたね」
「可愛かったなー」
「そうですか?拓海くんと美海ちゃんも可愛いじゃないですか」
「あいつらは生意気っつうやつだ。いやー、癒された。特に眞冬!なんだあの可愛さは。俺、絶対あの子と野球観に行きてえ」
 ほう、とうっとりしながら言う岡崎に、櫻花は半ばあきれ顔である。確かに三歳といえば可愛い盛りだが、所詮血の繋がりのない他人の子供なのに、どうして そこまで思えるのか不思議でたまらない。
 そして、そんな顔を見ていると、後で色々言ってやろうと思っていたことも全て許してしまえるから困ったものだ。
「ごめんな、不意打ちみたいなことして。でも、どうしても先に親御さんの許可が欲しくてさ」
「ううん、もういいんです。それに、それだけ真剣に考えてくれているっていう証拠ですよね?」
「あたりめーだろ!じゃなきゃあんなこと言えるわけねえよ!はー、それにしても緊張した。あそこで言うつもりじゃなかったのに、口が勝手に動くんだもん なぁ。参ったよ」
 眉尻を下げてしょげている岡崎は、まるで怒られた大型犬のようだった。そんな所も可愛いな、などと思ってしまう櫻花はもう重症だと自覚していて、なし崩 しとはいえ同棲に同意したということもあり、そろそろいろんな意味で腹をくくる必要があるなと思い始めていた。
「ま、大仕事は終えたし、今後のスケジュールなんかは宿で話そう」
「はい」
 岡崎は、今夜の宿である温泉宿に向けて車を発進させた。精神的疲労で今夜は何もしないまま寝てしまいそうだなぁ、などと不埒なことを考えているとを、櫻 花は知らない。