序章

 新入社員というのは皆、大なり小なり夢を抱いて社会に羽ばたいていくもの。初めての職場、新しい人間関係。見る物全てが知らないことばかりで、目 をキラキラ輝かせている。
 配属されてひとつき経ってもそれはあまり変わることはなく、新入社員歓迎会などで一言挨拶をしろと言われても、大抵の者は実に初々しいことを述べては先 輩社員達の心をくすぐるのだ。若いなあ、可愛いなあ、自分もあの頃はああだったなあ。それと同時に、これから本格的に社会の波に揉まれる多難な前途を思 い、密かに同情したりもする。
 篠塚櫻花も最初はそのつもりでいた。無難に、小さな夢を語ればいいと思っていた。ところが、いざ自分にお鉢が回ってきたら思いもかけない言葉を口走って いた。
 「嫌いなものはクリスマスです。一日も早く日本から消え去って欲しいと思っています」 
 それは嘘ではなかったが、この場で言うべきことではないのもよく解っていただけに、櫻花は自分の方が今この場で消え去ってしまいたいと思うのだった。

 案の定、入社一年目のクリスマスはこれまで以上に苦痛だった。職場の皆が春先の挨拶を憶えていて、興味深げにチラチラと視線を寄越すのを痛いほど感じた のだ。自分の失言のせいとはいえ、新入社員には少々辛いものがあった。常に誰かに見られている気がして、おちおち気を抜くこともできないのだから。
 すっかり一人前になった気分の頃に、他人の目があると気持ちは引き締まる。おかげで大きなミスもなく、きちんと仕事ができているのは有り難い。とはいえ 辛いものは辛い。
 そんな時、さり気なくフォローをしてくれる先輩がいた。仕事で助け船を出されたわけではない。気持ちが詰まって爆発しそうになった時、小さな風穴をあけ てそれを防いでくれたのだ。
 その先輩にはほんの些細なことだったかもしれないが、櫻花はそれで救われた。その日を境に、櫻花の気持ちは揺れ動く。相手は先輩でもあり上司でもある。 真意を訊ねたところで、当然のことをしたまでだと言われるに決まっている。とてもじゃないが、そんな恐ろしいことはできない。
 かくして、櫻花の“期間限定”片想いが始まった。期限は、相手が結婚するまで。その日が来たらすっぱりと諦めること。彼女がいると思しき場合は、こちら からは一切手出しをしないこと。この二つの不文律を胸に、櫻花の新たな日々が始まった。