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 高砂に座り、代わる代わる挨拶に来る招待客に愛想を振りまく。そういうのは自分には似合わないと思っていたが、これも嫁としての仕事なのだからと 気合いを入れる。
 そうこうしているうちに会場が暗くなり、スクリーンで二人のなれそめとやらをスライド上映している。彼女としてはこういうのは本当に必要なのかと疑問に 思ったのだが、式場の人に「ぜひお願いします」と言われてしまい断れなかったのだ。
 恐らくそのお願いの理由の九割は自分達が知りたいから、という理由だというのは解っている。まあそれも仕事のうちだと諦めて、スライドショーを見ること にした。友人が色々と頑張ってくれていたので、そこはしっかりと目に焼き付けておきたい。
 その内容を見ていると、今日までの三年間が鮮やかに甦ってきた。世の中に偶然はなく、それらは全て必然だと言ったのは誰だっただろうか。テレビでタレン トがそのようなことを言っていたような気がするが、それが誰かはもはやどうでもよいことで、その言葉が真実だったということが重要だった。



 その日、尚美は会議室の管理をすることになっていた。午前に一件、午後に二件の来客による会議室利用予定が入っていて、その他社内での利用を合わせても そこまで多いわけでもなく、よくある一日が始まるのだと思っていた。
 午前十時二十分頃、午前中の来客がやって来たと受け付けから連絡が入った。予定時間の十分前で、こちらの担当者が席を外しているために会議室まで案内し て欲しいという。
 タイミングが悪く担当者が出迎えられないというのはよくあることで、尚美も何度か受け付けまで出迎えに行ったことがあったため、何も考えずに受け付けへ 向かった。
 待っていたのは三名で、そのうちの一人が見るからに良い仕立てのスーツを着ている、世間ではイケメンと呼ばれる部類に入る顔立ちをしている人物だった。 だが尚美は来客に優劣をつける必要性も感じておらず、また、直接自分と関わり合うのはこれが最初で最後だということで眉ひとつ動かさずに会議室のあるフロ アへ案内することにした。
 途中、担当者が慌てて迎えに来たので案内をバトンタッチし、頼まれたお茶出しをして、一件落着とばかりに総務課へ戻っていった。
 そこからは何事もなく業務を続け、もうすぐ昼休憩になろうかという時、嵐に見舞われた。
「江川観光開発の者ですが、先ほど受け付けまで出迎えにきて下さった西本さんはいらっしゃいますか」
 自分がどこの何者かを明確にするためにちらりと名乗っただけなのに、よく覚えていたなというのがまず驚きで、次いで何か失敗をしてしまっただろうかとい う不安が浮かんだ。
 相手はお得意様か、もしくはこれからお得意様になってくれるかもしれない企業である。こちらに落ち度があるなら謝って許してもらわねばならないし、担当 部署にも謝罪しなければならない。
 尚美が恐る恐るそちらへ向かうと、それは先ほどの良い仕立てのスーツを着ていた美青年だった。
「ああ、西本さん!先ほどはどうもありがとうございました。実は今日こちらに伺うのは初めてでして……」
「そうだったんですか。それで何か粗相がありましたでしょうか?」
「いえ、そうではなくて、ですね。もうすぐお昼だと思うんですが、一緒にいかがですか、というお誘いなんですが」
「えっ?」
 その言葉に、尚美だけでなく総務課の面々も固まった。この人は一体何を言っているのだ、と一瞬では理解できなかったのだ。
「駄目ですか?」
「駄目です」
 当然のように断ると、その日青年はこの世の終わりを見たかのような顔で落ち込んだ。その姿があまりにも悲しそうで尚美は思わず了解しそうになるのだが、 いやいや冷静になってよく考えろ、と自らに言い聞かせてなんとか踏みとどまる。
 その場で土下座でもしそうな勢いで再度頭を下げられ、なんとかお願いしますと拝み倒され、ほとほと困り果ててうっかり「社員食堂でよければ」と答えてし まった。成り行きを見守っていた総務課フロアからは安堵とも取れる溜息が漏れ、尚美は先輩達の「もうお昼行っていいから」の言葉に甘えることにした。
 尚美は、その男性を社員食堂まで案内しながら、なぜこんなことになってしまったのかと自問自答する。当然ながら考えても答えなど出るはずもなく、何も解 決しないまま社員食堂に到着した。
 昼休憩の鐘が鳴るにはまだ少し早い時間なため人影はまばらで、早くに売り切れがちな人気メニューも選び放題だ。他社の社員食堂が物珍しいのか、その男性 はキラキラした目でメニューを見てはどれにしようか迷っている様子。そこで尚美が「男性ならこれがおすすめですよ」と本日の定食をすすめると、迷わずそれ を選択する。好き嫌いとかないのだろうか?とすすめた方が変な心配をするほどの即断即決ぶりだ。
 尚美はオムライスセットを、その男性が本日の定食をそれぞれ受け取り、窓際の席に座る。
「ええと、そういえばお名前をまだ伺ってなかったんですが」
「あっ、すみません。浮かれてしまってすっかり忘れておりました。私、江川観光開発の江川庸一朗と申します」
「フォーワーズの西本尚美です」
 名刺交換で差し出された物を受け取り、その肩書きを見て固まった。そこには「江川観光開発専務取締役」「シェ・ノリ統括本部長」というふたつの肩書きが 記載されていたのだ。
「食べないんですか?冷めちゃいますよ」
「あ……はい、食べます」
 気を取り直してオムライスの上に乗っているオムレツにスプーンを入れる。いつもながら絶妙なとろとろ加減に感心する。
「社食なのに固いオムライスじゃないなんて、贅沢ですねぇ」
「そうですよね。聞いた話だと、チキンライスを包むよりオムライスを乗せる方が楽だということでこっちになっているらしいです」
「値段は外で食べるより安いんですよね?」
「そうですね。大幅に利益を出す必要がないですからね」
 ふむふむ、と何か頭の中で何事かを考えている様子。恐らく自社の社員食堂について考えているのだろう。専務という肩書きがあるらしいので、改革なども簡 単に進められるのだろう。
 しかしホテルの社員食堂ならここよりも良い物を出しているのでは?と素朴な疑問を持った尚美だったが、これも相手の作戦のうちではないのかと思い直し た。些細なことでも反応を示すのは悪手だと、何事もなかったかのように食事を続けることにした。
 江川の方はというと、定食のトンカツを食べながらまだ何か考えている。自分から「一緒に昼食を」と誘っておいて、こうも簡単に仕事モードに突入してしま うとは、これではいくら若くて見目が良くてお金を持っていても女性には敬遠されるだろうな、と要らぬ心配までする始末。
 自分はそういうのは気にならない質だし、そもそも相手として見ていないし今日この場限りの付き合いだ。好きにさせておくのが良かろうと、尚美は黙々とオ ムライスを食べ進めていく。
「ああ、すみません。つい、いつもの癖で」
「いいんですよ。弊社の食堂が何かのお役に立てたのなら幸いです」
「本当に申し訳ありません……」
「深く考え事をしていても箸が動いているのは凄いな、と思って見ていましたけれど」
「お恥ずかしい限りです。食べられる時に食べないと、というのが染みついてしまっているんですよね。もう少し効率的に仕事を進められるようにならないと、 と思ってはいるんですが、それがなかなか難しくて」
 たはは、と笑う顔が思いの外可愛らしくて思わずキュンとしてしまう。尚美はそんな自分に唖然としながら、何事もなかったかのように振る舞い続けた。
「ところで、どうして私を昼食に誘ったんですかね。接点などありませんでしたよね?」
 尚美は、昼食後にサヨナラをする前に、どうしても聞いておきたいと思ったことを訊ねてみた。多少口調がきつくなっているのも自覚していたが、強引にこの 場に引っ張り出されたという思いが強く、納得のいく回答を得られなければクレームも辞さないという構えだった。
 すると江川はなぜか下を向きもごもごと何かを言っているのだが、声が小さすぎて尚美には聞き取れない。だがそこで何も言わずにじっと黙って待っている と、観念したかのように「一目惚れしました」という言葉を絞り出した。
 それに驚いたのは尚美の方だ。まさかそんなことが理由だとは思ってもおらず、しかも無理矢理告白させたような形になってしまい、この後どう対処すればよ いか直ぐには判断がつかなくなる。
 江川は言うだけ言ったせいかすっきりとした様子で、いい笑顔でとんかつを食べていた。後はそちらがどのようなボールを投げ返してくれるのか待っていま す、と言わんばかりである。
 その様子を見た尚美は、この勝負に負けたことを悟った。自分から言い出したので聞かなかったことにはできないし、何かしらの返答をしないと納得してはも らえないだろう。それも、なまなかな言葉では通用しないことが明らかだ。
 困った人物に目をつけられたものだと頭を抱えたくなるが、今ここでそんなことを嘆いていても問題は解決しない。
 尚美は頭をフル回転させて言葉を選び出す。例えば「私のどの辺りにそんな要素が」などと聞いてしまえば、嬉々としてその理由を語り出すか、もしくは興味 を持ったと思われる可能性が高い。かといって「非常に有り難いお話ですが」と断りを入れてしまうと、まだ一目惚れをしたと言っただけで交際を申し込んでい ないと反論されてしまう。何がしかの付け入る隙を与えることは、尚美にとって傷口を広げるということになるのだが、どうにもうまい返し言葉が見つからな い。
「それはありがとうございます」
 そう言ってにっこりと笑った。もうこれぐらいしか頭に浮かんでこなかったのでそうしたのだが、それが以外にも当たりだったらしく、江川が口をへの字にし て俯いてしまった。見れば耳まで真っ赤になっていて、尚美は、国内有数のホテルグループの専務のくせになんと純情なのだろう、とある種の偏見に満ちた感想 を抱いていた。
 だからといって絆される尚美ではない。余計なことは言わず、誤解も曲解の余地も与えず、ただ淡々と食事を終えた。どう考えても江川は忙しい人間だと思わ れるので、さっさと昼食を終えてしまえという作戦に出たのだ。
 それが功を奏したのかは判らないが、江川も食事を終えてお茶を飲んでは間を持たせている状態になった。
「ではそろそろ行きましょうか。江川さんもお忙しいでしょうし」
「ああ、そうですね」
 やけに大人しく後ろをついて来るので若干不審に思いながらも、食器を下げに行く。今が一番社食が混む時間なので、席を立てばすぐに埋まってしまう。食後 にゆっくりお茶など、という雰囲気ではなく、そこはもはや戦場だ。企業戦士の憩いの場所が戦場というのもおかしな話だが、どこの職場も昼休みの時間などそ ういうものだろう。フォーワーズは社食が充実しているため利用者が多く、それが席取り合戦に拍車をかけているところは否定できない。
 活気に満ちあふれる食堂を一瞥した江川は、先ほどのように何事かを考えていたが、ひとつ頷き尚美の側へと戻っていく。
「西本さん、今日は私の我が儘を聞いて下さってありがとうございました。また伺うことになると思いますので、その時はよろしくお願いします」
「いえ、弊社が江川観光さんのお役に立てたのなら幸いです」
 そんな無難な会話をしながら江川を玄関先で見送り、昼食会はそのままあっさりと終了した。
「一体なんだったのよ……」
 化粧室に寄った後、ぐったりと疲れた身体を引きずって総務課まで戻ると、自席で弁当などを食べている先輩達に生暖かい目を向けられた。何かを言いたげだ けど誰もそれを言い出せない、といった雰囲気が充満しており、尚美はそれに気付かないフリをする。
 少し早めに昼休憩に入ったということで、その分早めに仕事を始めることでその視線をシャットアウトする作戦に出た尚美は、一人パソコンに向かい手を動か す。きっと諸先輩方は相手が江川観光の専務だなどとは知らないまま、その見てくれの良さに興味を引かれているのだろうと思った尚美は、このまま黙って風化 するのを待つことにした。
 午後の就業中は話しかけるなオーラを身体中から立ち上らせて、なんとか乗り切ることができた。週が明けたら好奇心が薄れてくるのを期待してのことであ る。
 尚美の目論み通り、翌週になれば皆何事もなかったかのように接してきて、尚美本人も江川のことなどすっかり忘れてしまうほど平和な日々を過ごしていたあ る日のこと。再び嵐が襲いかかってきた。