晩秋の空│02

 株式会社フォーワーズのブースは午前から上々の客足で、これまで取引のなかった企業が興味深げに展示品を覗いていく。この中の一割が新たな顧客に なれば良い方で、ほとんどの企業とは縁がないまま終わってしまう。それでも、こういう物を作っている会社があるのだと、頭の片隅にインプットしてもらえる ことが大事なのだ。
 午後に入り、それぞれ交代で休憩を取っていた時のこと。受付で櫻花を名指しで呼び出す人物がいた。その時櫻花は、足りなくなったパンフレットを補充する ため営業車に取りに行っていて、電話連絡を受けて慌ててブースに戻ると、そこには櫻花がよく見知っている人物が立っていた。
「江川さん!」
「やあ、篠塚さん。ごめんね、忙しい時に」
「いえ、構いません。今日はお仕事ですよね、もちろん」
「そうだよ。案内してくれるかな?」
「営業の者の方がいいと思いますけど……」
「せっかく久しぶりに会えたんだから、篠塚さんにお願いしたいな」
「判りました。ご案内いたします」
 すらりとした長身の、一目で上質と判る仕立てのスーツを着込んだその男は、日本全国に高級ホテルチェーンを展開する江川観光開発の専務取締役・江川庸一 朗その人だった。
 櫻花に案内されながらブースへと入っていく後ろ姿を見て、受付担当の広報課女性社員達はひそひそと小声で言葉を交わす。
「ねえ、今の人、江川観光の専務よね?」
「篠塚さんとどういう知り合いかしら……」
「久しぶりとか言ってたから、付き合ってるんじゃなさそうだけど」
「謎だわね」
 背後でそんな話をされているなど知らない櫻花は、江川を伴ってブースに展示してある商品を説明していく。江川の会社では必要ないと思われる物が大半だ が、それでもきちんと話を聞いてくれるので、櫻花は恐縮しきりだった。
 一番関わりがありそうなリビングスペースへ来た時、江川の目がローボードの上に吸い寄せられる。
「あの、篠塚さん、これは?」
「ああ、それはペーパーウェイトです。受付の横にも置いてあったんですが……」
「ごめん、気付かなかった。そうか、ペーパーウェイトか……」
 そう言ったきり黙ってそれを眺めている。ホテルの客室に置く備品には向いていないだろうと思いながら、それでも気に入ってくれたらそれだけで持って来て もらった甲斐があったと、櫻花は内心嬉しくて仕方がなかった。
 一方の江川はしばらくの間それを眺めていたが、櫻花に向き直ってこの商品のパンフレットはないかと訊ねてきた。
「篠塚さん、これの商品パンフはないかな?持ち帰って見せてやりたいんだけど」
「只今切らしておりまして……」
 先ほどパンフレットを補充した際、この商品のものがなかったことを思い出した櫻花は、苦しい言い訳をする他なかった。今日この後会社に連絡して、江川の 会社には別途バイク便で届けてもらえばなんとかなるかな、と考えていたその時。
「失礼します。その商品のパンフレットはこちらにご用意いたしております。どうぞ」
 控えめな声とともにペーパーウェイト・星雲シリーズのパンフレットが差し出された。
「ああ、ありがとうございます」
 江川はにこりと笑ってそれを受け取ると、鞄に仕舞ってぽんぽんと叩く。
「篠塚さんの顔を見られるだけでいいな、と思ってたけど、とてもいい収穫があったよ」
「……ありがとうございます」
 櫻花は小さくなりながらそう答えるのが精一杯だった。後ろに立っている人に変な誤解を与えていやしないかと気が気ではなかったし、これ以上江川が変なこ とを言わないか不安でたまらなかった。
 そうとは知らない江川は、鞄を置くと懐から名刺入れを取り出して自己紹介をする。
「私はシェ・ノリ事業部長の江川庸一朗と申します。フォーワーズさんにはホテル立ち上げ以来お世話になっております」
「企画課長の岡崎威夫です。シェ・ノリの事業部長さんということは、江川観光開発の専務さんですよね?」
「ええ、まあ。ただ、私にはシェ・ノリの方が合っていましてね。あまり本社には顔を出していないんですよ」
「そうなんですか。ところで、うちの篠塚とはどういったご関係で?」
 普段より更に一段低くなった声を聞いて、櫻花は全身の毛が逆立つのを感じた。会社で怒られたりすることはよくあるが、その時よりも不機嫌さがありありと していて、何も悪いことをしていないのに思わず謝ってしまいたくなる。
 ところが問いかけられた江川は平然としていて、櫻花の顔色を観察しながらサラリと答えた。
「ちょっとした友人です」
 そう言ってニヤニヤと笑いながら櫻花を見ているが、岡崎にはその視線が気に入らなかったようで益々機嫌が悪くなる。
「ええっと、あとどこを説明してもらってないんだっけ?」
「寝室です」
「そっか。じゃあ続きをお願いしてもいいかな?」
「……畏まりました。では課長、失礼します」
 戦々恐々としつつ、江川を伴って隣の寝室スペースへと足を進める。後ろから痛いほどの視線が刺さっているのをなんとか無視して、商品を説明するついでに 小声で江川に文句をたれる。
「課長に変な誤解をされちゃったじゃないですか!」
「そうかな?」
「そうですよ!江川さんと友達だなんて、今後思いもよらぬ所でコネを疑われたらどうするんですか!?」
「……気をつけるよ」
 江川は櫻花の言葉に苦笑しながら、心の中で岡崎に同情した。もちろんそんなことは欠片も見せずに、きちんと最後まで説明を受け、その中からいくつか気に なった商品のカタログを受け取り鞄に仕舞う。
「じゃ、今日のところはこれで。また何かあったら連絡するから」
「はい。よろしくお願いします」
 櫻花は、深々と頭を下げて江川を見送った。あのペーパーウェイトには並々ならぬ感心を抱いている様子だったことを考えると、また新たに商品を購入しても らえる可能性も高い。個人的な交友関係の有無に関わらず、商品を見る目は厳しい江川のお眼鏡にかなった物があるのなら、展示品選出の基準にこだわった櫻花 にとって大きな自信となるだろう。
 突発的に頼まれた案内をなんとか終わらせ、本来の裏方仕事へ戻ろうとした櫻花だったが、それを許さない人物がいた。
「篠塚さーん、ちょっと来てー」
 ニッコリ笑いながらそう呼びかけてきたのは、受付をやっている広報課の女性社員だった。
「私これからお昼だから、一緒にどうかな?」
 同意を求めてはいるものの、その口調には有無を言わさぬ迫力があった。先ほどからにこにこと笑顔を見せてはいるが、目が一切笑っていない。
 まだ初日でもある上、ここで逃げ出したら今後の協力を望めない気がした櫻花は、岡崎に声を掛けてその女性社員に同行することにした。
「わかりました。課長に確認してきます」
「早めにお願いね」
「はい」
 元々昼休憩など取れないものと思っていた櫻花は、岡崎があっさり許可を出したことに驚いた。ついでに中畑も連れて行け、と言われて後輩を伴って戻ると、 女性社員の眉がピクリと動く。だがそれも一瞬の出来事で、何もなかったかのような顔をして櫻花と中畑を連れて会場外の飲食店へと向かった。
 タイミング良く空席へ案内され、それぞれ注文をする。ウェイトレスがテーブルを離れたところで、待ってましたとばかりに広報の女性社員が口を開いた。
「で?江川専務とはどういう関係?」
 オブラートに包むこともしなければ、雑談でジャブを繰り出すこともなく、真っ直ぐストレートに話を切り出すその様は、却ってすがすがしささえ感じられ る。そんな彼女に敬意を表して、櫻花もまたストレートに答えを述べる。
「友人です」
 もちろん櫻花も、相手がそんな答えで納得するとは思っていない。だが、もう一方の当事者である江川がそう答えているのだから、これ以上の詳細を語るのは 憚られるというもの。
 何を訊ねても“友人”以上の答えを引き出せないと悟った広報の女性社員は、早々に諦めることにした。
「あの専務と友達だなんて、これまでさぞ色々便宜を取りはからってもらったんでしょうねぇ」
 と、嫌味を零すことも忘れない。
「……そういう疑いをかけられるのが嫌なので、この件に関しては今後一切口を開きません」
 黙りを決め込んだ櫻花に、あからさまに苦い顔を向ける女性社員。その二人のやり取りを黙って見ていた中畑が、どうしても納得がいかないといった調子で口 を挟んできた。
「その“江川専務”という人がどれほど凄い人かは知らないですが、どうして他社のお偉いさんと友達だと篠塚さんが便宜を取りはからってもらえるんですか? 私達は現場に出て営業活動をするわけでもないですし、商品開発のように発言権が大きいわけでもありません。企画課はとにかく面白いアイデアを湯水のように 湧き出させろ、っていうのがうちのスタイルですから……どこにもそんなものが付け入る隙なんてないんですけど」
 新入社員に看破され、広報の女性社員は顔を真っ赤にしながら何も言えずにいた。テーブルには重い沈黙が流れ、息苦しささえ感じられた。
「お待たせしましたー」
 その沈黙を破るように注文の品が届けられ、三人は無駄口も叩かず黙々と食事をすることにした。味などあってないようなもので、櫻花はいつぞや原に言われ た「美味しいものを食べる時は笑顔で食べないと、料理がもったいない」という言葉を噛みしめることになったのだった。



 波乱ぶくみで始まった展示会初日もそろそろ終わろうかという頃、フォーワーズのブースに緊張が走った。来場予定のなかった社長が現れたのだ。
 秘書を一人連れただけの身軽さでフラリと自社のブースに立ち寄り、社員全員に今日一日の働きに対して労いの言葉を掛ける。
 現場責任者である岡崎も、リーダーである櫻花も、誰からも何も聞かされていなかった社長の訪問に内心慌てたものの、平静を装って対応をする。特に櫻花は これまで社長と言葉を交わす機会など皆無だったため、緊張の度合いは相当なものがあったはずだ。表面上はそれを一切感じさせない所に、岡崎は櫻花の可能性 を感じ取っていた。
 岡崎と櫻花の二人がかりでブースを案内して回り、一通り見終わった後、社長からの質問に答えていく。
「あのベッドとソファーは借り物って聞いたけど、それについて聞かれた?」
「その手の質問はほとんどありませんでした」
「そうか。うちが家具も寝具も作ってないのを知ってるお客さんばかりだったということだな。じゃあ逆に、どの商品が一番食いつきが良かった?」
「新商品の中ではランプシェードが一番でした」
「ということは、全体の中では新商品じゃないものが注目されたのか……」
「ソファーに座った時に一番目につくのがペーパーウェイトでしたので」
「あれ、結構古いよね」
「発売からは十年以上経っています」
「そういう商品が強いのもいいけど、新商品がそれに取って代わらないとね」
「企画課一同、肝に銘じて精進いたします」
 社長と岡崎の質疑応答を横で見守りながら、櫻花は余計なことをしたという気持ちでいっぱいだった。何しろあのペーパーウェイトは昨日の夜に思いつきで 持ってきてもらった物で、当初の展示予定品には含まれていなかったのだ。それが客の人気をかっさらっていったとなると、自分達が推していた新商品に発売前 からケチがついたと、営業課と商品開発課が気分を悪くしてもおかしくない。
 今月下旬に発売というプレスリリースも済ませてあり、ここでの反応を見て営業活動に生かしていく予定なのだが、その予定が狂ってしまったと言われたら返 す言葉もないし、十年以上前の商品より魅力的なものを企画できていない企画課への風当たりが強くなったら、正にやぶ蛇だ。
 櫻花は自分の考えや見通しの甘さを痛感すると同時に、情けない気持ちでいっぱいになった。よかれと思ってやったことが、所属課全体の評価を落とすことに 繋がるとは思ってもみなかったし、そもそも上司の手を煩わせた上に頼み忘れたパンフレットまで持って来てもらうという体たらく。
 そうやって一人落ち込んでいる櫻花に、社長から質問が飛んできた。
「篠塚さん、だったよね?今回どうしてこういうコンセプトにしたの?」
 これまで何度となく訊かれたその質問に、これまた何度となく答えた内容をスラスラと口にする。ところが社長はその答えで納得してくれない。
「本当は?」
「本当は、と言われましても……」
「うーん、まあいいや。展示会終わったら色々話を聞かせてもらうから」
 答えあぐねている櫻花を見てあっさりその矛先を収めると「じゃ、残り二日間、頑張ってね」と言い置いて去って行った。その瞬間閉会の知らせが響き渡り、 社長の襲来で固まっていた社員達はそれを合図にふっと身体の力が抜けていく。
 一日の終わりにとんだ台風がやってきたせいで、社員一同どっと疲れを感じていたが、まだ初日である。残り二日間ともここに詰めなければいけない櫻花達と 広報課の女性二人は、先の長さにげんなりしながら後片付けをするのだった。