睦月│04


 賑やかな昼食を終え、再び居間に場所を移す。食器類をそのままにしてきたことが気にかかり、後片付けの手伝いを申し出た櫻花だったが、お手伝いさ んに任せてあるからいいのよ、とからからと笑って言われてしまった。
 岡崎の母親が言うには、お手伝いさんに休日出勤の賃金を支払ってでも息子の彼女と一秒でも長く話をしたかった、ということだった。そうまで言われて悪い 気はしないが、申し訳ないという気持ちの方が大きかった。
「ねえねえ、二人はいつから付き合ってるの?」
 子供というのは大人が遠慮して聞けないことも、ずばり言葉に出して質問してしまうもの。午前中、二人がこの家に着いた時にはぐらかされてうやむやになっ ていたことを、はっきりとした質問という形にしてしまった。
 質問をした拓海は興味津々といった感じで、答えを今か今かと待っている。この年代の男の子は色恋にはあまり興味を持っていないのが普通なのだが、どうや ら彼は精神的な成長が平均より早いようだ。
 一方、妹の美海は答えなど聞きたくないといった感じで頬を膨らませ、明らかにご機嫌斜めの様子。
「十二月からだよ」
 一応岡崎の様子を窺って、渋々といった顔をしていたので許可が出たと認識してそう答えた。その“渋々”が答えることに対してなのか、それとも今の状況に 関してなのかは櫻花には判らなかったが、せっかく考えたシナリオを披露しないままお蔵入りさせるのは少し残念に思っていたところだったので、岡崎には悪い と思いながら子供達の質問に答えていく。
「たけおじさんのこと、なんて呼んでるの?」
「課長、かな」
「たにんぎょうぎー」
「じゃあ、櫻花お姉さんはたけおじさんに、なんて呼ばれてるの?」
「篠塚、って呼ばれるのが多いかな」
「ちゃんと名前でよんでもらってるから、美海の勝ち」
 拓海の質問に櫻花が答え、それに対して美海が所感を述べるというやり取りが続いている。
「どうして付き合うことにしたの?」
「もの凄く簡単に説明すると、私が展示会で大変だった時に助けてもらったから」
「……んー?美海わかんなーい」
「ってことは、櫻花お姉さんからたけおじさんに告白したの?」
「えっと、それは……」
「あたりまえじゃん!お兄ちゃんわかってないー」
 ここまで順調に答えてきたのだが、打ち合わせしていない内容にまでどんどん踏み込んで来られ、返答に窮してしまった。
 何と答えたらよいか判らない櫻花の沈黙を肯定と捉えたのか、美海はもっともらしいことをつらつらと語り始める。
「お仕事でたいへんなときに、たけちゃんみたいにかっこよくてデキる男にたすけてもらったら、このお姉さんじゃなくてもすきになっちゃうに決まってるも ん」
 確かにそれはそれで一理あるな、などと櫻花が思わず納得していた横で、岡崎が子供達に雷を落としていた。
「お前ら、いい加減にしろ!ここからは大人の時間だ、ガキンチョどもはあっち行ってろ」
 シッシッ、と犬や猫にそうするように手を振って甥、姪を居間から追い払おうとする。
 子供達は怒られても気にもしておらず、きゃあきゃあとじゃれ合って楽しそうにしている。
 岡崎が子供達の相手をしてくれているおかげで、質問攻撃から解放されてほっと一息ついた櫻花は、その様子をぼんやりと眺めながら妄想の翼を拡げていた。
 結婚して子供が出来たらきっと子煩悩な父親になるのだろうな、とか、子供達には自慢のお父さんになるだろうな、とか、自分がその横にいられれば幸せだな あ、とか、今どこにいるのかも忘れてうっとりとしそうになる。
 慌てて意識を現実に引き戻し、出されていたお茶を一口啜って気を取り直す。なにしろ櫻花が今度相手をしなくてはならないのは、ストレートではあるが素直 な子供達ではないのだから。
「それで櫻花ちゃん、さっきの話の続きだけどね」
 うやむやにされて終わったはずの話を引っ張り出すところを見ると、大人達は追求の手を緩める気はないようだ。岡崎は子供達の相手で手一杯で、これから答 えることに伺いを立てる余裕はなさそうである。
 櫻花は、なるべく嘘のないように、かつ、真相を上手く誤魔化しつつ質問に答えていく。隣で子供達の相手をしている岡崎が聞き耳を立てているのは感じてい るものの、そこまで配慮する余裕はなく、時折ポロリと本当のことを漏らしてしまっている。
「櫻花ちゃん、こう言っちゃなんだけど、あなた男を見る目がないんじゃないの?何も威夫じゃなくても、もっと他にいい人いたでしょうに」
「お義母さん、それ私にも同じこと言いましたよね?」
「ちょっと待ってよ、俺はコイツとは違うよ?……ていうか、母さんの育て方が悪かったんじゃないの!?」
「佳太も威夫も似たようなもんよ!全く、どうしてお父さんみたいに素敵な紳士に育たなかったのかねえ……あたしゃ情けないよ」
「母さんの“恋する乙女フィルター”は未だ健在なのか……」
「櫻花ちゃん、ごめんね。お義母さんは別に息子達がダメだと言ってる訳じゃないのよ?ただ、お義父さんが好きすぎて息子達の現状に満足してないだけなんだ から。私だって嫁いびりされてるってわけじゃないし」
 この会話から察するに、岡崎の母は未だ夫が一番で、息子達がその域に達していないため一人前と見なしていないということらしい。もちろんそれはあくまで 母親としての見解であって、一個人としてはきちんと認めてはいるのだろう。
 あの課長が半人前扱いされるなんて、このお父さんは一体どんな完璧超人なのだろうか。こうして見るとニコニコ笑って何事にも動じず、いかにも大物といっ た雰囲気が漂ってはいるが、優しく物静かなお父さんという印象しか受けない。
 櫻花はそう思いながらちらと岡崎の父・信輔を見る。妻や子、嫁や孫達を見つめる優しげな眼差しは、岡崎のそれとよく似ていた。全体的には母親似である岡 崎だが、ふとした表情や仕草が親子を感じさせるのだ。
「それでそれで?結局櫻花ちゃんはたけちゃんのどういう所を好きになっちゃったの?」
 岡崎の兄嫁・かおるが興味津々といった感じで訊いてくる。岡崎とは高校の同級生ということだが、その時には二人の間には何もなかったのだろうか。そし て、どんな高校時代を送ったのだろうか。
 櫻花の方こそ訊きたいことは山とあるが、訊かれたことには答えなければならない。
「そうですね、辛い時に助けていただいたので優しい所が一番でしょうか」
 これは嘘ではない。二人で設定を話し合った時に決まった内容に沿っているように見えて、実は櫻花の本心だった。
「でもさ、それって上司としては当たり前のことなんじゃない?」
「そうかもしれませんが、私にとっては当たり前ではなかったんです。あの時は本当に辛くて、このまま会社を辞めるかもしれない、とまで思っていた私を助け 出してくれたんですから」
「ふぅん。でもそれって十一月のことでしょ?そこからすぐアタックしたわけ?」
「あの、ええと、それはその……火が付いたら燃え上がるのは一瞬だと言いますか……」
「確かに、恋愛なんてそんなものよね〜」
 痛い所を突かれてしどろもどろになるが、なんとかそれらしいことを言ってみれば、あっさり納得をしてもらえて安堵する。
「で、燃え上がりばなのクリスマスに貰ったのが、それ?」
 今度は指輪に関する追求が始まるらしい。まさか今日の報酬だとは言えないので、そこはかおるに話を合わせて頷いておく。
「ふぅん。それ、人によっては下品に見えるんだけど、櫻花ちゃんには凄くよく似合ってる」
「ありがとうございます」
「たった一ヶ月でそんな似合う物買えちゃうたけちゃん、ほんとムカつく!」
 先ほどからかおるの「ふぅん」という言葉と共に投げつけられる視線に、全てを見透かされているようで、櫻花はただただその身を竦ませることしかできな かった。
「ところで櫻花ちゃん、コイツ、会社ではどんな感じ?」
 今度は兄・佳太が色恋とは全く関係のない話題を振ってきた。
「いつも厳しく指導していただいています」
「ああ、今日、最初猫かぶってたみたいな感じで?」
「オンとオフの切り替えが上手なんだと思います」
「はは、物は言い様だね。で、その厳しい上司様の仕事ぶりはどう映ってる?」
「そうですね、何事にもストイックで、他人以上に自分に妥協を許さないように見えます。それから視野が広くて、気遣い上手で、リーダーシップもあって、課 長の下で働けて幸せだなと思っています」
 普段から岡崎について抱いている思いを堂々と言える機会などそうあるものではなかったせいか、櫻花は照れるどころか嬉々として語り始めた。
「うちの会社は基本的に残業禁止なんですが、それでも業務時間内に仕事が終わらせられなくて残業している人もいるんです。それが岡崎課長の下にいる私達は ほとんど残業をしたことがありません。個々の能力を正確に把握して、それに見合った業務をさせているからだと思うんです。もちろん期待に応えられない時も ありますが、それは私の力不足であって課長が悪いわけではありません。課長は管理職としても、本当に優秀な方だと思います」
 櫻花が岡崎を褒めそやす様はまさに水を得た魚のように生き生きとしていて、それを見た家族達は皆一様に「この子は本当に威夫が好きなんだな」と納得をす る。
 その後あれやこれやと話をしているうちに十五時になり、母・寿子お手製のシフォンケーキが振る舞われる。プレーン、紅茶、苺の三種類はどれもふわふわ で、添えられた生クリームも甘さ控えめで絶妙なバランスを保っている。そして、共に出された紅茶のほどよい渋みが、シフォンケーキの甘さをより一層引き立 てている。
 櫻花は、来がけにお菓子作りが趣味だと言うと面倒なことになる、と言われたのはこれだったかと納得しながら、こんなパワフルなお母さんにならお菓子作り を誘われてもいいかもしれない、などとありもしないことまで考えていた。
「どうかしら?櫻花ちゃんのお口に合うと良いのだけれど」
「とっても美味しいです」
「そう?良かった!」
「なーにが『どうかしら?』だよ。今更外面良くしたって、母ちゃんの本性はバレてるぞ」
「なんだって!?あんたもう邪魔だから帰んな!櫻花ちゃんさえいてくれりゃいいんだから」
「はあ!?こんな狼共の群れの中に置いて帰れるわけねーだろ!ちったあテメエらの言動を自覚しろよな」
「狼はお前だろ、何言ってんだい」
 その言葉を聞いて、櫻花は思わず紅茶を吹き出しかけた。まだそういう関係にはなっていない、というか、そもそも偽の彼女なのだからそんな心配などないの だ。それは櫻花にとって悲しいことではあるのだが。
 この親子のかけあいは見ていて飽きないし、家族は皆いい人達ばかりで、この家はとても居心地が良い。ただ、その中に自分がいることの違和感が拭えず、こ こに居ることが却って辛くさえ感じてしまう。
 そんな櫻花の心の内を知らない家族達は、あれやこれやと世話を焼いてくれる。それを有り難く受けながら、針の筵の座り心地にじっと耐えていた。