目には青葉│03
神代植物公園の園内はとても広く、散策しているだけでもいい運動になり、時間はあっという間に過ぎていく。
ふた組のカップルが再び合流した後は、芝生広場にシートを広げてお弁当の時間と相成った。
それぞれ持ち寄った弁当を全員で分けるのだが、事前に打ち合わせをしたわけでもないのにおかずが見事なまでに被っていない。
櫻花の方は若鶏の唐揚げ、卵焼き、えびとブロッコリーのマヨネーズ和え、ひじき、ピーマンとジャコの炒め煮。尚美はポークピカタ、小松菜のおひたし、き
んぴら蓮根、アスパラベーコン、豆腐ハンバーグ。
四人はさっそくそれらに手をつけ食べ始めた。おにぎりの具も櫻花は鮭とおかか、尚美は梅干しと昆布で、これまた見事に分かれているのが面白い。
「あっ、卵焼きが甘い!」
家庭によって味付けが変わる代名詞ともいえる卵焼きは、櫻花の家ではずっと甘いタイプのものだった。慣れ親しんだ味でないと受け入れられない、という人
もいるため、少し不安になった櫻花だったが、全員美味しいと言って平らげてくれたのでほっと一安心した。
「これ、揚げ玉が入ってる」
櫻花が口にしたのは、小松菜のおひたし。普通はかつおぶしがまぶしてあるが、尚美のそれには更に揚げ玉がプラスされていた。かつおぶしでは吸収しきれな
かった水分を吸ってくれていて、かつ、小松菜のシャキシャキとした歯触りに加え、カリカリしたものやジュワッとしたものなどバラエティに富んだ食感が楽し
める。
男性陣二人は、どちらの料理も分け隔て無くうまいうまいと胃に納めていく。櫻花と尚美は、お互いのおかずのレシピについて話したり、午前中に見た花の話
などで盛り上がっている。
そうこうしているうちに、合計六人前の弁当があっという間になくなった。
「ふぅー、食った食った。ごっそーさん!」
「篠塚さんはお菓子作りの方が得意と聞いていたけど、料理もできるんだね」
江川の言葉に、岡崎が反応する。
「庸ちゃん、なんで櫻花が菓子作り得意だって知ってんの」
じとりと睨むが、江川はそんな視線などものともせずにその真相を語る。
「バレンタインに手作りチョコを貰ったんですけど、その時に聞いたんですよ。篠塚さんはお菓子作りは得意だけど料理はそうでもないって本人が言ってた、っ
て」
「あー、そっかー。もー、やだなー、俺ホントちっちぇー!すぐジェラっちゃう!」
ほんの些細なことでもすぐに嫉妬してしまう自分が恥ずかしいと思う岡崎だったが、いくら気をつけていても気付いたら心の中に嫉妬の炎がチロチロと燃えて
いるのだから仕方がない。
軽口を叩きながらも落ち込んでいる様子の岡崎を見て、尚美は笑いが止まらない。会社では寡黙で厳しく、そのくせ男の色気を振りまいていて――と言っても
本人にそのつもりはないのだろうが――、女性社員達をキャアキャア言わせている岡崎が、私生活では口は悪い、チャラチャラしている、その上嫉妬深いという
体たらく。
岡崎にご執心の簑田に見せたら泡を吹いて倒れるのではないかと思うと、想像するだけで可笑しくてたまらないのだった。
「まあまあ、タケさん。デザートでも食べて気分を落ち着けましょう」
「おっ、いいね」
江川がカパリと蓋を開けたタッパーには、大きないちごがぎっしりと詰まっていた。それを見た岡崎は、ちょいちょいと櫻花を手招きしてデザートのタッパー
を取り出し蓋を開ける。
「あ、いちご……」
「ここにきてかぶっちゃったのね」
櫻花達が用意したデザートもいちごだったのだ。
「せっかくだから、江川家が用意してくれたいちご食うよ。だからこのいちごはそっちで食って」
岡崎は、江川が手にしていたタッパーと交換し、それぞれいちごを食べ始めた。
「おおー、これ美味い!なんて品種?」
「それはあまおうです」
「これが噂の!」
「課長の所のいちごは何ですか?」
「えっ……わかんねえ……」
「櫻花が買ったの?」
「威夫さんが用意してくれるって……」
岡崎が用意すると言っていた弁当用の食材は、実は全て岡崎の母が準備してくれた物だったのだ。それを知った櫻花は、自分がとんだ間抜けに思えて仕方がな
かった。
いくら残業をしない会社だとはいえ、管理職である岡崎が毎日定時に帰れるはずもないし、昨夜いかにもそれらしい荷物をコンシェルジュから受け取っている
のを目にしていたのだ。だというのにそんなことにも気付かなかったとは、緊張と興奮でふわふわしていたというのは言い訳にもならないだろう。
またしても視野の狭さが露呈して、櫻花はすっかり落ち込んでしまった。岡崎も岡崎で、いちごの品種すら聞いていなかった気の利かなさにへこんでいる。
尚美はそんな二人を見て、本当にお似合いだとニヤニヤを抑えきれない。付き合い始めたばかりの初々しいカップルが、相手のことを想うあまりに自分に失望
している姿は傍から見ていると萌えの対象にしかならないのだ。
尚美は、当てられちゃうなあ、などと自身も新婚とは思えないことを考えながら、櫻花達が持ってきたいちごを口に放り込む。コロコロと丸いいちごは絵に描
いたような綺麗な形をしていて、噛めば甘酸っぱい果汁がじゅわっと口いっぱいに広がった。
「それ、あすかルビーだって」
へこみながらも母親へお伺いメールを出していたらしく、いちごの品種を教えてくれた。そういった抜け目のなさはさすが岡崎といった所で、尚美は普段はあ
まり目にしない岡崎の仕事ぶりの一端を垣間見たような気分になった。
「櫻花は浮かれてたんだから仕方ないでしょ。それと課長も、別にいちごの品種を聞いてなかったことぐらいで落ち込まないでください。これ、すっごく美味し
いですよ。庸一朗さんも、ほら食べてみて」
「はいはい。ああ、これは確かに美味しい。いちごは品種が多いから、日本全国探せば色々と……でもなあ、今更いちごフェアに参戦するというのもなあ。あ、
それなら旬のフルーツのフェアを一年中ってのも悪くないかも。いや待て、フェアをやるにあたっての負担がどれぐらいかを考えないと……」
「ちょっと、庸一朗さん!」
「ああ、ごめん。このいちごが美味しくて、つい」
尚美は一瞬で頭が仕事モードに切り替わった庸一朗を注意し、櫻花と岡崎にもデザートを薦めた。
「ほらほら、我が家のあまおうも食べてみて!美味しいから!」
「うん、ありがとう。ごめんね尚ちゃん」
「よっし、じゃあ頂くか!おお、さすがあまおう、デカいな!」
気を取り直した二人は、江川夫妻が持ってきたあまおうを手にする。それらはかなりの大粒で、とても一口では食べられないであろうと思われる。
「確か、ヘタより先の方が甘いから、ヘタの方から食べるといいんでしたよね?」
櫻花は、伊豆でいちご狩りをした時に観光農園の人に聞いた話を思い出し、ヘタの方からかぶりつく。
その様子を岡崎は実に甘い笑顔で見ていて、そんな岡崎の顔を目撃してしまった尚美は背中がむずがゆくなる思いがしていた。夫と岡崎の共通点を認めている
尚美としては、それは人ごとではないからだ。岡崎がそういう顔をしているということは、恐らく夫も同じだろうと考えられ、それを思うとカッと頬が熱くな
る。
一方櫻花は、大きないちごを二回に分けてもぐもぐと食べている。時折うんうん、と頷いたりしているので、観光農園の人のアドバイスが当たっていたのだろ
う。
「あの時は一口で食べちゃったから半信半疑だったけど、こうやって大きいのを囓ると上より下の方が甘いってよく判りますよ!」
「よかったなー」
二人ともすっかり立ち直ったようで、江川夫妻はほっと一安心である。
不穏な雰囲気になったりしながらも、結局はわいのわいのと四人で楽しく食事を終えた。デザートまで食べて全員お腹いっぱいで、しばらくその場を動けそう
にない。
岡崎はシートにごろんと横になり、櫻花に膝枕をしてもらってご満悦だ。それを見た江川が物欲しげな顔で尚美の様子を窺うが、尚美はそれに気付かないフリ
をしてやり過ごす。外で膝枕など、恥ずかしくてとてもじゃないがしてあげられないと思ったのだ。
だが、櫻花に頭を撫でられてうっとりしている岡崎と、それを羨ましげに見ている夫の顔を見比べて、尚美の胸はツキンと痛む。
「庸一朗さん」
尚美は夫を呼び、ポンポンと膝を叩く。すると江川は本当に嬉しそうに膝を枕に横になる。忙しい夫がこんなことで癒やされてくれるのなら、と勇気を出した
のだが、どうやらそれは正解だったようである。
男二人は愛する人に膝まくらをしてもらい、いい陽気ということもありうとうとと居眠りを始めてしまった。
「相当疲れてるのかしら」
「そうねー。しばらくそっとしておいてあげましょ」
穏やかな寝顔を一方的に眺める機会もそうあることではない。櫻花と尚美は、しばらくの間太ももに感じる温かな重みを味わうことにした。
それから二人は、寝ている男性陣を起こさないよう小声で話し合う。
「ねえ櫻花、私が言うのもなんだけど、あなたは課長のこと信じなきゃ駄目よ?」
「うん、わかってる」
「またいつもの悪い癖で『自分なんか』って思っちゃ駄目よ?」
「江川さんに大きな口を叩いた以上、自分でもそれを実践しなきゃって肝に銘じてる」
「そう。それなら私達の遠回りも意味があったってことね」
「私は遠回りなんてして欲しくなかったけど、それでも、尚ちゃんが今幸せならそれでいいんじゃない?」
「そうね」
櫻花と尚美は、手に入れた幸せを手放してしまわないためにも、自分を見失わないようにしようと心に誓うのだった。