目には青葉│04

 男性陣二人がつかの間の昼寝を終えた後、四人はばら園へ向かった。少し高くなっているテラスから一望するばら園は、 それは見事なものだった。
「凄い!真ん中に噴水があって、ヨーロッパの庭園みたい!」
 櫻花がはしゃいでいる横で、岡崎も「これはすごい」と唸っている。本当は桜の花見をしようという話が、江川の仕事の都合で今日になったのだが、岡崎はあ まり乗り気ではなかった。桜以外の花を見て何が楽しいのか、と思っていたのだ。
 ところが、実際来てみてその考えが変わった。というのも、花の種類ごとに分かれた区画に、更に細かく品種ごとに植えられていて、中には一見するとつつじ とは思えないような形の花を咲かせるものがあったりと、園芸を趣味とする人の気持ちが少し理解できたような気さえしていた。
 もちろんただ見ていただけではなく、今後の仕事に役立ちそうなヒントもいくつか頭にインプットしている。そういうこともあって、まだまだ他にも気付いて いないだけで知らない世界があるのではないかと、反省もしていた。
 ここは家からもそう遠くなく、これから咲くもの、もう季節を過ぎてしまったものなど他にも見所が沢山ありそうで、都合が合えばこのメンバーでもよいし、 櫻花と二人きりでもよい。また来よう、と思うぐらいには気に入っていた。
 あちらの通路、こちらの通路と植わっている薔薇をじっくり見て歩いているうちにいい時間になっていた。
「小腹も空いてきたことだし、せっかくなんで蕎麦食って帰ろうか」
「深大寺といえば蕎麦ですもんね」
「江川夫妻はどうする?一緒に行く?」
「尚美、どうする?」
「せっかくだから一緒に行きましょ」
 こうして四人は連れ立って近くの蕎麦屋に入り、おやつがわりに深大寺そばをたぐって帰ることになった。
 まずは店を決め、そこの駐車場で落ち合うことにして植物公園を後にした。そして店の入り口で再び集合したわけだが、そこでまた男性陣二人がキャッキャと はしゃぎだした。
 話は中に入ってから、とばかりに女性陣が二人を引っ張って店内へ入る。通されたのは店外にあるバルコニー席で、鬱蒼とした木々の下、涼しい風に吹かれな がら蕎麦を食べるというのもなかなか気持ちが良さそうである。
 他の席にも客がいるのであまり大声は出せないが、ここでようやく男性陣が話ができるとソワソワし始めた。
「威夫さん、まずは何を食べるか決めてからにしましょう」
「ああ、そうだった、そうだった。んー、じゃあ俺、ざるで。薬味は辛味大根ね」
「じゃあ俺もタケさんと同じで」
「んもう……櫻花はどうする?」
「私はこの、鴨せいろにする。あるといっつも頼んじゃうの」
「へぇ〜、渋い趣味してるのね。じゃあ私はとろろそばにしようかな」
 それぞれ頼む品も決まり、尚美が店員に注文を伝えている横で、岡崎と江川は車談義に花を咲かせていた。
「庸ちゃんはスポーツタイプの車に乗ってると思ってたけど、まさかのSUVとは。しかもAMGでしょ、あれ?」
「タケさんこそ、ジュークNISMOというのは予想外です」
「あー、あれは街乗り用だから。俺一人の時はGT−Rだよ」
「それもNISMOなんですね?」
「あらやだ、バレちゃった?」
「判りますよ。SuperGTももちろん……」
「そうだねえ。庸ちゃんはF1?」
「子供の頃の刷り込みってやつですよ」
「そっかー。俺の場合は社会人になってからだからなあ」
 櫻花も尚美も、二人が何を話しているのか全く理解できないので、もう放っておくことにしたようだ。
「はー、まさか車でも盛り上がるとは」
「仲違いするよりいいじゃない」
「そうだけど、なんか今後結託しそうじゃない?」
「それは確かにそうだけど、私と尚ちゃんも結託すれば大丈夫よ」
「あはは、それは確かに。あの二人に負ける気がしないわ」
 ざわざわとざわめく木々が、まるで一緒になって笑っているように枝を揺らす。
 そこへ蕎麦が運ばれてきて、今度は全員がそちらに意識を持っていかれる。
「わあ、美味しそう!」
「いただきます」
 美味しい蕎麦というのはペロリと食べられてしまうもので、皆それぞれあっという間に完食してしまった。
「美味しかった〜」
「ちょっと物足りねえけど、おやつにこれ以上食ったら駄目だよな」
 そば湯をすする岡崎が、少し残念そうに言う。そもそもおやつに蕎麦という発想そのものが少しばかり一般常識から外れているのだが、そのことについては誰 も触れようとしないのが面白い。
 昼にお弁当を多めに食べて休憩をしたとはいえ、それ以外はずっと歩き通しだったのだから、腹も減るというもの。だから皆、何の疑問も持たずに蕎麦を食べ ていたのだ。
 そこで少し雑談をして、駐車場で解散という流れになったのだが、そこでもまだ男性陣二人は車を見ながらああでもない、こうでもないと楽しそうに話してい る。
「もう、いい加減にしないとお店の迷惑になるでしょ!」
「そうですよ。また今度会って話せばいいじゃないですか」
 女性陣の言葉に納得した二人は、早速次回の予定を相談し始めた。もはや呆れ顔の櫻花と尚美だったが、それでもお互いのパートナーが仲良くしている姿を見 るのは嬉しいもので、頬が緩みがちになるのを抑えられないでいる。
 どうやら話がついたようで、二組のカップルはそれぞれ車に乗り込んでようやく家路につくこととなった。
 最後まで笑顔で江川と手を振り合いながら、実に楽しそうにハンドルを握る岡崎を見て、櫻花は心底ほっとした。今日のことは少なからず無理をさせているの ではないか、と思っていたのだ。
 ご機嫌な様子で運転している岡崎は、蕎麦を食べたばかりだというのにもう夕食の心配をしているようで、櫻花は何か食べたいものはあるかと訊ねられた。
「今は何も思いつきません」
「だよなー。俺だってそうだもん。じゃあ、中華にでもすっか」
「え、これから食べに行くんですか?さすがにお腹が……」
「いやいやいや、出前だよ出前。出歩くのもかったりーし、この後はダラダラして過ごそうぜ」
 “彼氏の家に初めてのお泊まり”が連泊になるわけで、事前にそう言い渡されていたものの、今になって櫻花の心臓はばくばくと大きな音を立てて持ち主を困 らせている。こんなので本当にダラダラ過ごせるのだろうか、という気持ちと、ダラダラするのが楽しすぎて明日自宅に帰るのが嫌になりそうで不安だ、という 気持ちと、本当にダラダラしすぎて嫌われたらどうしよう、という気持ちが渾然一体となって、櫻花の頭はパンク寸前である。
「あの、明日の朝ごはんはどうしますか?」
 このまま混乱にまかせて黙っているのもどうかということで、必死になって話題を探した結果、出てきた言葉がこれだった。櫻花は失敗したなと思っていたの だが、意外にも岡崎がこの話に乗ってきた。
「うーん、何もないんだよなぁ。お願いしたら作ってくれたりする?」
「え?ああ、はい、いいですよ。何がいいですか?」
「そうだなー、休日の朝ごはんだろー?何がいいかなぁ……あっ、フレンチトースト!」
「フレンチトーストですか。一人じゃ作るの面倒であんまり家でもやらないですし、作りますか」
「オッケー、じゃあ帰る前にスーパ寄ってこ。パンは近所にパン屋があるからそこで調達して」
「よろしくお願いします」
 そうして連れてこられたのは、櫻花が普段買い物をしているような普通のスーパーではなく、所謂“高級スーパー”と呼ばれる店だった。置いてある物は皆い い値段で、海外から輸入した珍しい品も数多く取りそろえられている。ここならお菓子の材料も豊富だろうな、と思うとそれだけでテンションが上がってしま う。
 最初はあれこれ目移りしていた櫻花だったが、ふと我に返ってこの状況を客観視した時、まるで新婚夫婦のようだと気づいて一人赤面していた。
 岡崎はそんな櫻花の後ろをカゴを持ってついて歩いていて、今にも鼻歌を歌いだしそうなほど満面に笑顔を浮かべている。岡崎もまた櫻花と同じように、新婚 夫婦が連れ立って買い物をしているかのような状況に気づいたのだ。
 明日の朝必要な物を買い、一度マンションに戻って荷物をコンシェルジュに預けてから、今度はパンを買いに近所のパン屋へと向かう。
 その道すがら、手をつないで歩きながら今日の感想などを話題に話が盛り上がる。
「まさかあんなに広いとは思ってなくて、もうヘトヘトです」
「俺も、植物園なんてパッとしねえだろう、って思ってたのが覆されたよ」
「そのことなんですけど、威夫さんに無理をさせたんじゃないかって思っていたんです」
「無理?俺が?なんで」
「だって、尚ちゃ……尚美の旦那さんが江川さんだと知らせていなかったし、本当は行きたくなかったんじゃないかって」
「尚ちゃんでいいよ、いつもそう呼んでんだろ?」
「はい」
「で、その尚ちゃんの旦那の話な?確かにあそこで会うまで西本の旦那がどんな人かも判んねぇし、正直どうしたもんか、って感じだったよ」
「ごめんなさい」
「いや、謝んなくていーよ。江川専務が現れた時には目を疑ったけど、結局庸ちゃんとは仲良くなったし結果オーライだって」
 目指すパン屋にはすぐに到着し、櫻花はまたしても並べられた商品に目を奪われる。甘いデニッシュ系、おかず系、ブールやバゲットなどのハード系、山型角 型の食パンの他にもサンドイッチや揚げパンなど、どれも美味しそうなものばかり。
 ここに来たのは明日の朝フレンチトーストに使うパンを買うためで、おやつを買うためではないのだが、ついあれこれ手に取ってしまいたくなるのは仕方のな いことだろう。
 せっかくなのでバゲットで作ることにして、ついでに適当な長さにカットしてもらう。そうして会計を済ませると、後ろ髪を引かれつつ店を後にした。
 夕闇が迫る街を、二人並んで歩く。なんということはない日常なのだが、こういうのが幸せなんだと、櫻花はほんわり心が温かくなった。



 二人は、翌朝空腹を覚えて目が覚めるまでたっぷりと眠った。そしてぐうぐう鳴るお腹をなだめながら、一緒に食事の準備をする。夜のうちに卵液に浸してお いたバゲットを、たっぷりのバターで香り高く焼き上げる。甘さ控えめにしたフレンチトーストに、残っていたいちごを使って作ったソースと砂糖を入れずにホ イップした生クリームを添えれば、まるでカフェで出てくるような一皿に仕上がった。
 それにカリカリに焼いたベーコンを散らしたサラダ、野菜スープ、カフェオレでブランチの出来上がりだ。
 柔らかい陽の光が差し込むリビングで、二人並んでフレンチトーストに舌鼓を打つ。ゆったりとした時間が流れ、のんびりと過ごす休日は静かに始まるのだっ た。