夏祭り│03

 翌日二人が神社に到着すると、そこは昨日とは別世界が広がっていた。参道の両脇で屋台の設営が進んでいたり、提灯が 掲げられていたりと、皆祭りの準備に余念が無い。
 物珍しい光景をしばらく観察していた岡崎が、妙なことに気がついた。これまでの人生で行った祭りで見る屋台とは違う店構えをしているものが多いのだ。学 校などでよく見るテントに長机という、まるで運動会の本部のようなものばかりがずらりと並んでいる。
「なあ、これってどういうこと?」
「ああ、境内は氏子さんのお店が出てるんです。あそこが酒造屋さんで、あそこが精肉店、青果店、パン屋さん、喫茶店……」
「外は普通の屋台なのに、珍しいな」
「曾祖父の代からそうしているんです。普段お世話になっている氏子さんを一番に優先するべきだ、って」
「へぇ」
「お店の都合で屋台を出す出さないを決めるので、毎年同じ屋台があるとは限らないのがミソなんですよ」
 欲しい物があれば後回しせずにその時に買え、ということだろうと理解した岡崎は、櫻花の曾祖父の商才に舌を巻いた。今でこそそういった商法も周知されて いるが、戦中から戦後にかけての時期にそこまで考えていたのだとしたら、宮司にしておくには惜しい人材だったのだろうと思う。
 とはいえ、岡崎は昨今の度を超した飢餓商法は好きではなく、製造メーカーの人間としては安定供給するのは当たり前のことだと思っている。このあたりは社 内でも議論が分かれる所で、多少の品切れは仕方が無いという者と、欲しい人が欲しい物を手に入れられないのはメーカーに対する印象が悪くなるのでやめた方 がいいという者とで、いつも意見は平行線を辿っている。
 作業をひとしきり見学した後、屋台の準備を邪魔しないようそっと脇をすり抜けて社務所横の玄関に向かう。
「ただいまー」
「お邪魔します」
 すると奥からパタパタと元気な足音が聞こえてきた。
「いらっしゃーい!」
「おじちゃん、やきゅうおしえてー!」
 すっかり懐かれた岡崎は、眞冬を抱き上げながらさてどうしたものかと思案する。自分は特にすることがないとはいえ、今日はそんなに時間があるわけでもな いし、境内は人や物が行き交っていて、今はとてもじゃないが小さな子を外に出すのは危ないといった状況だ。
「今日は外出ちゃ駄目だって言われてない?」
「いわれたー」
「じゃあ今日は駄目だな。また今度にしよう」
「えー!やだー!」
「おうちの中でなら遊んであげるから」
「ほんと?」
 期待を込めた瞳で見つめられれば、それに応えなければ、と思うというもの。だがよそ様の家の中で、大人の邪魔にならないように遊ぶ、というのはなかなか にハードルが高い。
「よし、じゃあどこか遊んでいいお部屋があるかどうか聞いてみようか」
「うん!」
「こら!あんたたち、いい子にしてなさいって言ったでしょ!」
 岡崎に抱かれてべったりしている眞冬を見て、奥から出てきた櫻花の義姉は瞬時に角を生やす。怒られた眞冬は岡崎の胸に顔を埋めて、視線だけチラリと母に 向ける。
 岡崎にはその顔がものすごく可愛く見えて、早く自分の子供を抱きたいという衝動に駆られる。義理の甥っ子でこれだけ可愛いのだから、櫻花が生んだ自分の 子供だと一体どれほどの可愛さになるのだろう、とわくわくが止まらない。
「どこか眞冬くんと遊べる所はありませんか?」
 そう申し出る岡崎の顔が実に嬉しそうだったため、百合子は息子を任せることにした。
「眞冬、お兄ちゃんに迷惑かけないのよ?」
「うん」
「場所も教えてあげられる?」
「うん!」
「では岡崎さん、よろしくお願いしますね」
「はい。ゆっくり着付けして下さい」
 岡崎は腕から下りた眞冬に先導され、家の奥へと進んでいく。とことこと可愛らしく歩く後ろ姿を見て、またしても癒やされる。小さな子供というのは言うこ とは聞かないし言葉も拙いし、そもそも親として子供を育てていく責任というのはなまなかなものではない。だが、こうした日常の小さなことが幸せを運んでく れるのだ。
 眞冬に連れてこられた子供部屋でしばらく遊んでいると、櫻花と一緒に着付けをしてもらっていた葵がひょっこりと顔を出した。淡いピンク地にその名にふさ わしいおおぶりな向日葵をあしらった、夏らしい浴衣を着ている。
「おっ、葵ちゃん可愛くしてもらったね」
「えへへー」
 はにかみながらくるりと一回転する葵はとても嬉しそうで、岡崎はここでも妄想に浸ることになった。
 もし俺と櫻花の間に娘が生まれたら、可愛すぎてちゃんと嫁に出してやれる自信がねぇよ……、と自分の妄想で少なからぬダメージを受け、意気消沈してしま う。
 突然黙り込んだ岡崎を不思議に思い、眞冬はその顔を覗き込んだ。よほど悲壮な顔をしていたのだろう。手にしていたぬいぐるみを渡し、元気を出せよと言わ んばかりにぺちぺちと腕を叩く。
 その健気な姿に心を揺さぶられ、岡崎は思わず眞冬をぎゅっと抱き締めた。そして改めて、早く自分の子供が欲しいと思うのだった。
「あっ、そうだ、ママがおじちゃんよんできなさいっていってたのわすれてた!」
 ここに来た理由をようやく思い出したらしい葵が、うっかりしていたという顔をしながらそう告げた。
「そう、ありがとう葵ちゃん。じゃあママの所に連れてってくれる?」
「いいよー。こっちこっちー」
 まだ遊び足りなさそうな眞冬を抱いて葵の後をついていくが、その心の内は穏やかではいられない。もちろん顔には出さないが、櫻花が浴衣を着たら一体どう なるのか、今回の旅行で一番楽しみにしていたことをいよいよその目にすることができるのだから、そのわくわく感は半端なかった。
「ママー、おじちゃん連れてきたよー!」
「もう、お兄さんでしょ!岡崎さん、どうぞ入ってください」
「お邪魔します……」
 恐る恐る部屋に入った岡崎は、思わず息を呑んだ。櫻花は白地に小さな藍色の桜があしらわれた浴衣を着ていて、腰まで届きそうな長い髪はきっちりと結い上 げられていた。こちらに背中を向けているため、白いうなじが丸見えになっており、それがなんとも欲情をそそられる。
 岡崎は自分が今どこにいるのかを改めて言い聞かせ、ともすれば熱を持ちそうになるのを言葉通り必死になって抑え込んだ。
「どう?櫻花ちゃん綺麗でしょう?」
「ええ、とても」
 なんとか言葉を絞り出しはしたものの、その目は未だうなじに吸い付けられたままである。
 それに気づいた百合子がくすりと笑い、櫻花をくるりと半回転させた。
「あの、ええと……どうですか?」
 照れ照れと尋ねる櫻花に、岡崎はついいつもの口調で答えてしまう。
「すげぇいい」
「おかしくないですか?」
「なんでだよ、すっげぇ可愛いよ。できればこのまま連れて帰りてぇぐらい」
「え、でも、夏祭りに参加するからって」
「だから今ものすんげえ我慢してるんだっつうの。ただなあ」
「ただ?」
「他の野郎どもに見せたくねえなーと」
 ぶすりと言う言葉には、本当に見せたくないという気持ちがこもっていた。櫻花は浴衣姿を見せるまで不安で仕方がなかったが、その独占欲と嫉妬を全身に浴 びてようやくほっと安心したのだった。
 そんなやり取りを見ていた百合子は、二人の普段の姿を垣間見たようで居心地の悪いやらもっと見ていたいやらで、何と声を掛けたらよいか判らないでいる。 それに、行儀よくしていた岡崎の口調があまりにざっくばらんで驚いたというのもある。
 結局、おほん、と咳払いをするという古典的な方法で二人に自分の存在を知らせると、続いて岡崎の着付けに入ろうと浴衣を取り出した。
「岡崎さんは大きいから、ちょっと裾や袖が短いかもしれないですけど、まあ、そこは浴衣ということで」
 驚いたのは岡崎で、何も聞かされていなかったため大変な慌てようである。
「いや、あの、お義姉さん、俺も浴衣着るなんて聞いてないんですけど」
「だって櫻花ちゃんが内緒にしておいてって言うから、ね?」
「どうせなら二人で浴衣がいいなーって思ったんですけど、ダメですか?」
 そんなことを上目遣いでおねだりされて否と言える男を、岡崎は知らなかった。
「わかった、着る。着ればいいんだろう?」
「やった!私が着付けしましょうか?」
「いや、いい。自分で着る」
 意外な返答に驚きつつ、あの家で育ったのならそれぐらい教えられていそうだと納得した櫻花は、義姉と姪っ子甥っ子を部屋から追い出した。
「見てていいですか?」
「いやまあ、別にいいけど、面白いもんでもなんでもねーぞ?」
「いいんです。うふふ」
 岡崎は素早く服を脱ぐと、用意されていた浴衣に袖を通す。少し小さいかもと言われていたのだが、きちんと寸法が合っていて少し驚く。そして帯を手に取っ て更に驚いた。控えめながら桜の花びらが刺繍されていたのだ。
 いわゆるペアルックというやつだが、これまでの人生でそのようなものを着たことがなかった岡崎は猛烈に恥ずかしかった。照れている所を見られないようう つむき加減でしゅるしゅると帯を巻いていき、貝の口に結ぶとくるりと回して結び目を後ろへもっていく。
「はー、凄いですね。ここまで手際がいいとは思いませんでしたよ」
「一体どう思われてたんだか気になるけど、それはまあ宿に帰ってからゆっくり聞くとすっか」
「えぇ……」
 今夜もゆっくり休めなさそうなことに櫻花はがっくりと項垂れた。恐らく最初からこれが目的だったのだろうと、今頃になって気づいた自分が情けない。
 だが、浴衣姿の岡崎をちらりと見やると、それも仕方のないことだと思った。なにしろ背が高く体つきもがっしりとしている岡崎の浴衣姿が、それはもう格好 良いのだ。袷から覗く鎖骨が色気を振りまいていて、その上にある喉仏がいつも以上に目に止まる。
「どうした、顔真っ赤だぞ?熱中症か?」
「いえ、なんでもない、です……」
 まさか浴衣姿を見て色々と考えていたなどとは言えず、ごにょごにょと言葉を濁してやり過ごそうとした。
「ふぅん」
 ニヤニヤと笑っていることから、どうやら櫻花の心は見透かされているらしく、それが更に恥ずかしさを掻き立てる。
「みてみてー!」
 そこへ、妙な空気をぶち壊すような眞冬の元気な声が響き渡る。甚平を着せてもらった眞冬が嬉しそうに笑っていて、二人はすっかり毒気を抜かれてしまっ た。
「じゃ、そろそろ行くか。って、でもまだ祭りは始まってねえよな?」
「そうですねぇ。だいたい夕方ぐらいからですから、まだじゃないでしょうか」
「だよなぁ。でもせっかく着替えたんだし、眞冬達連れてどっか行くか」
 昼間のうちにいっぱい遊ばせて疲れさせておいて、夜の祭り本番ではぐっすり眠っていてもらおうという作戦らしい。



 その後、葵と眞冬を連れて町を案内してもらい、目論見通り夜にはすっかり夢の国の住民と化した子供達を置いて、二人は祭り本番である夜の屋台散策に出か けるのだった。