夏祭り│04

 祭り囃子が流れる中、昔なじみにやいやいとからかわれながら歩くのはとても恥ずかしい。だが隣を歩く人はそれはそれ は嬉しそうに受け答えをしていて、その度に繋いだ手にぎゅっと力を込められる。だから櫻花はそれに応えるように手を握り返し、恥ずかしさに負けぬよう気合 いを入れるのだ。
 年に何度かある祭りは、櫻花にとっては家の手伝いで忙しだけのものだった。それらは神社の例祭として重要なものであるのだが、何もそこに合わせて屋台を 出したりしなくても、と思ったことも一度や二度ではなかった。
 祭祀として粛々と勤めたいのに、お祭りとしての一面を持つととたんに忙しくなる。氏子の皆さんへの感謝の気持ちはもちろんあるのだが、それだけではいら れないのもまた事実である。かといってお祭りもないようだと神社は寂れていくばかりだし、信仰の対象から外れた神様の行く末というのはあまり想像したくな いものだ。
 色々と思う所があるにせよ、これまでは家の仕事の手伝いとしてしか関わってこなかった夏祭りに、今回初めて客として参加することになったというのは、櫻 花にとっても大きな意味があるものだ。純粋に客として見た祭りをどう感じるか、というのは今後実家の仕事を手伝うにあたり、どういった気持ちで取り組むべ きかを決めることにもなるだろう。
 とはいえ、そこまで難しいことをあれこれ考えていては、せっかくの浴衣デートが台無しになってしまう。櫻花は何も考えず、とにかく目の前の祭りを楽しむ ことにした。
「よし、まずはここでしか出てない屋台から制覇していくか」
 岡崎ならそう言うだろうとは思っていたが、実際その通りになってしまい櫻花は内心冷や汗ものだった。というのも、ここでしか出ていない屋台ということ は、氏子衆の屋台ということだからだ。
 それでなくても昼間に二人で実家を訪ねたところを目撃されているのに、揃って浴衣で顔を出したら一体何と言われるか、考えただけでも恐ろしい。いや、そ れより、昨日ここに来たことが既に街中に広まっている可能性の方が高い。
 とりあえずということで神社の境内を出てプラプラしていたのだが、岡崎は足取りも軽く再び境内へと戻っていく。手を繋いでいるため櫻花もそれに従う他な く、こちらは逆に重い足取りである。
 鳥居に一番近い所にあるのは、子供の頃からよく通ったパン屋さんの屋台だ。ここのおすすめはなんと言っても総菜パンで、毎日のように部活帰りの高校生達 が空きっ腹を抱えて買いに来るのだが、運動部で食べ盛りの子達ですら一つで満足するボリュームを誇るのだ。
「おっ、櫻花ちゃん!聞いたよ彼氏連れて来てるんだって?」
「……はい」
「随分とガタイのいいお兄さんだね。どう?うちの自慢のパン、食べてみない?」
「じゃあひとつお願いします」
「あいよ!」
 そうして出されたのは極太のウィンナーを挟んだシンプルなホットドッグなのだが、受け取るとずっしりと重い。
「カリーヴルストサンドだよ」
 ドイツでは定番の、焼いたソーセージにカレー粉とケチャップをまぶしたカリーヴルストを、パンで挟んだだけのシンプルなものだ。本場では小さなパンに挟 むのだが、それをするとカレー粉やケチャップが落ちて手が汚れるということで、ここのパン屋ではソーセージよりやや長めのパンに挟んである。
 それにしても重いよな、と思って岡崎がかぶりつくと、想像していたのと違う歯ごたえが返ってきた。ソーセージだけではなく、パンが自体が重いのだ。みっ しりと目詰まりしているのは、材料にライ麦を多く使っているからだった。とはいえ、ライ麦百パーセントだと日本人の口には合いにくい。一番良いと思う配合 にたどり着くまでが大変だったよ、と店主は笑っているが、それはきっと相当な時間を要した挑戦だったのだろうと推察される。
 当然ながらその苦労の甲斐あってとても美味しい。だが、最初にこんな重い物を食べてしまって、これから他の屋台を回れるのか心配になってくる。いくら元 大学野球の選手で今も運動を欠かさないとはいえ、内臓は年相応に衰えているのだ。あまり無理はできない。
「すごく美味いです。でも俺のようなオッサンにはキツいですよ」
「ひとつで満足してもらうことに情熱燃やしてるからな!わははは!」
 豪快に笑う店主に、岡崎は「それは祭りの醍醐味である食べ歩きの敵だな」と心の中でツッコミを入れる。他にもまだまだ祭りでしか食べられないもの、祭り 補正がかかっているからこそ美味しく感じられるものの数々が待っているというのに、既に胃の半分近くが占拠されてしまっている。
「次は何を見ますか?」
「そうだなあ、何か飲み物欲しいな」
「あっ、それならオススメがありますよ!」
 もうすっかり開き直ることにしたらしい櫻花が案内したのは、青果店の屋台だった。ここの名物は自慢の果物を使ったミックスジュースで、甘いのに後味が さっぱりとした飲み口で、子供から大人まで絶大な人気を誇っている。しかもこれが飲めるのは祭りの日だけだというから、まだ空に明るさが残っている時間だ というのに行列が形成されつつあった。
 二人は最後尾で小銭を準備していた。大行列ができているわけではないので、すぐに順番が回ってきてジュースを買うことになる。
「子供の頃は兄と二人、小銭を握りしめて買いに来たのを思い出します」
「ほー。てことは、これは櫻花の過去を彩る大事なアイテムの一つなんだな」
「そ、そういう言われ方をされると照れますね……」
 普段は粗野な喋り方をするが、岡崎の育ちは悪くないどころか良い方だと言える。だから時折こうやって、無意識で櫻花を赤面させるような言葉を吐いてく る。それはきっと、岡崎がこれまで接してきた文化的なものの数々から影響を受けているのだろうが、櫻花の周囲にはこんなロマンティックな台詞をさらりと言 えるような人はおらず、普段から着物を着ていなさそうなのに当たり前のように浴衣の着付けができることといい、こういった時に住んでいる世界の違いを感じ てしまうのだった。
 ただ、それは岡崎の方でも感じているかもしれないことだと、すぐにマイナスに傾きそうな思考を頭から振り払った。自分と岡崎、どちらが一般的ではないか と考えた時、神社の娘の方がより一般的ではないと思えたのだ。
「いやー、さすがフルーツ王国山梨のジュースはうめえわ」
 隣の岡崎はニコニコしながら美味しそうにジュースを飲んでいる。
「フルーツ王国山梨、ですか?」
「ああ。よく岡山がそう言われてるけど、山梨もかなりなフルーツ王国だよな。首都圏に近い分、俺らは山梨の果物を口にする機会が多いけど」
「私、そこまで考えながら生活したことありませんでした」
 そんな会話を交わしながら、二人は次なる屋台へ足を向ける。
 そこは櫻花が土産として持って来てくれた酒を造っている造り酒屋のブースだった。樽に氷水を張り、そこで一升瓶を冷やしている。どうやら冷酒を提供して いるようだ。
 だが今夜も車の運転が控えているため、岡崎はじとりと半目になってそれを見ていた。
「威夫さんはこっちを飲みましょうね」
 そう言って手渡されたのは、こちらもよく冷やしてある甘酒だった。子供やアルコールが苦手な人でも飲めるようにと、酒粕ではなく糀で作ってあるものだ。
 甘酒の季語は夏だということでも判るように、元々は夏に飲まれていたもの。昨今の甘酒ブームで夏にも売れるようになったので、いつ何時何がきっかけに なって商品が売れるか判らない、と店主が笑う。
 興味深そうに話を聞いていた岡崎だったが、よく冷えた甘酒をちびちびと飲んでいる時にふと気付いたことがあった。
「なあ、もしかしてなんだけど」
「なんですか?」
「バレンタインのチョコに入ってた酒って、ここの?」
「!」
 ずばり言い当てられて、櫻花は狼狽えた。少し考えれば思い当たることとはいえ、まさかこの場でそれを言われるとは思ってもいなかったのだ。
 店主は二人のやりとりを見ながらにこにこと笑っている。店主にしてみれば、正月に土産を頼まれていたことから薄々何かあるのではないかと思っていたの で、目の前でその答え合わせが繰り広げられているといった心境だった。
 櫻花も同じ甘酒を飲んでいたにも関わらず、まるで冷酒の方を飲んだかのように顔どころか首筋まで真っ赤にしている。白い浴衣の襟から見えるうなじが赤く 染まっていて、岡崎は今すぐ宿に連れて帰りたいとうずうずしていた。そこをなんとか我慢して、愛想笑いでその場をやり過ごす。
 今日、これで一体何度目だろうと、気付かれないように深呼吸をしながら心を落ち着けるのだが、浴衣デートというのは精神的にもっとゆとりのある大人がす るものだ、と痛感していた。
 確かに楽しいし心躍るのだが、いとも簡単に理性が死に絶えそうになるのはいただけない。これでも一応社会的立場のある人間だし、相手は地元の人間なら誰 もが知る有名人だ。色々と自重しなければならないのだ。例えば、赤く染まったうなじに目が釘付けになる、といったようなあからさまな行動は。
「お兄さん、今すぐ帰りたいって顔してるね」
「あっ、いや、その、すみません……」
 今度は岡崎が赤面する番だ。いい歳こいたオッサンが何やってんだ、と心の中では己に対する罵詈雑言の雨あられ。恋人の実家の庭で、造り酒屋という神社と は切っても切れない縁の深い商売をしている人に、いかにも物欲しそうな顔をしていたのを目撃されてしまったのだ。穴があったら入りたいどころの騒ぎではな い。
 ただ、岡崎もそのまま撤退するほど柔な神経の持ち主ではない。どちらかといえば図太い方だ。だからその場にとどまり、両親や兄夫婦が土産として貰った酒 を飲みとても喜んでいた、と礼を述べた。あの味にうるさい両親が、真面目な顔で「うちの会社でも取り扱いができないだろうか」と言っていたぐらいだから、 本当に美味しかったのだろう。
 そんな美味しい日本酒を造った人なのだから、何と言ってからかわれようがお礼は言っておきたいと思ったというのもある。それに、これであわよくば実家と 取り引きをしてくれれば、という下心も多少含まれてもいる。
「おお、ありがとう!お兄さんは飲んでくれたのかい?」
「いえ、残念ながら。ただ、彼女がくれたチョコレートに入っていたのはいただきました」
「それってどういう?」
「ボンボンショコラ……、チョコの中に洋酒が入っているのがありますよね?あれの日本酒版を作ってくれたんですよ」
「ほほう、そんな使い方もあるのか……うちでも作って売ってみようかなぁ」
「その時には是非お手伝いさせてください」
 会話の内容がいつの間にやら新商品開発談義になっており、お互い名刺交換まで始める始末。遊びに行った先で、しかも浴衣姿なのに名刺を持っている岡崎の 抜かりなさに感心しながらも、その会話の発端となった櫻花は、だんだんと大きくなっていく話に目を白黒させている。思いつきで作った日本酒入りのボンボン ショコラが、まさか半年後にこんな話になるとは思ってもいなかったのだから仕方ないだろう。
 他の客の邪魔にならないようにテントの裏に移動して、櫻花が作り方など訊かれたことに答えていく。その間、岡崎は櫻花の話にいちいち感心していた。簡単 に作れるものではないと思ってはいたが、そんなに手間のかかる物を作ってくれたのかと、今更ながらに感動していた。
 思えば二人の関係が変わるきっかけになったのは、あのバレンタインのチョコレートだった。たった一言「好きです」と書かれたカードが、ぐずぐずと片想い をしていた岡崎を突き動かしたのだ。
 櫻花も、岡崎も、お互い勇気がなくて現状維持で満足していた日常に一石を投じたのは、バレないだろうと思って添えた一枚のカードなのだから面白い。
 そこから半年、ここまであっという間に話が進んで同棲が決まったことは岡崎にとっても櫻花にとっても、これまでの停滞していた年月を取り戻すようなもの だったのかもしれない。
 蔵元との話も一段落し、二人は次の屋台へと移動することにした。
「まさか実家で仕事の話をするとは思ってもみませんでしたよ」
「俺もだ」
「でも、うちの会社は生活雑貨の製造販売なのに、まさかお菓子とコラボするなんて」
「お菓子つったって裸で売るわけじゃなし、そのパッケージ作りはうちのノウハウが生かせるだろ?」
「確かにハンドメイド用の包装用品も作ってますね」
「ま、ビジネスチャンスはどこに転がってるか判らねぇってこった」
 指を絡ませながら浴衣姿で歩いているのに、会話の内容は色気の欠片もない。だがそれが二人にはお似合いなのかもしれない。元は上司と部下の関係から始 まって、それは今でも継続している。職場から離れても長い年月をかけて染み付いたものはなかなか抜けないのだろう。
 ひとしきり境内の屋台を覗き行く先々で冷やかされた後は、参道に並んでいるいかにもな屋台をはしごすることにした。
 わたがし、焼きそば、りんご飴……いい加減お腹が膨れた状態ではそれほど食べることはできないが、二人で分け合ってそれなりに堪能し終えた頃にはとっぷ りと日が暮れていた。
 人出も増え、歩くのもままならなくなってきたところで、今夜は撤収することにして再び境内へと戻っていく。
「純粋に客として楽しんだ祭りはどうだった?」
「……やっぱり威夫さんには隠し事ができない気がします」
「前にもそう言ってたけど、隠し事するつもりはないんだろ?」
「ないですけど、なんで何も言わないのにバレちゃうのかなって、この頃は少し怖くなります」
「それだけ櫻花のこと見てるからだって言ったろ?」
「わ、私だって威夫さんのこと見てますよ!」
「いーや、俺の方が見てるね」
「負けませんよ」
 下らない意地の張り合いをしながら、絡ませた指は決して離さない。
「東京に戻ったら早速引越しの準備だな」
「そうですね」
「もちろん俺も手伝いに行くからな」
「えっ、いいですよそんな」
「いーや、ダメだ。一刻も早く一緒に住みてえんだから当たり前だろ」
「でもほら、見られたくない物とか色々あるじゃないですか」
「それは平日の晩に済ませとくんだな。俺は金曜の夜から行くから、週末はみっちり準備すっぞ」
「えぇ〜!?」
「あはははは!」
 櫻花の悲鳴じみた声は、祭りの喧騒と岡崎の笑い声ににかき消されてしまうのだった。