錦秋│05

 毎月恒例の通称なんでも会議は、今月も会議という名の雑談で盛り上がっていた。一応きちんとした議題に沿った内容も 話し合われるのだが、それらが終了した後の雑談こそがこの会議の肝なのだ。何気なく発せられた言葉には数多のヒントが隠されていて、それを拾えるかどうか は参加している課員次第。
 たとえ同じヒントを複数の人間が受け取ったとしても、そこから先の膨らませ方はそれぞれ異なるのだから、似たような企画が上がるのではないかというのは 杞憂でしかない。
 そんな会議も終盤にさしかかり、そろそろ会議室の制限時間が迫ろうとしていた。その頃になると皆話をまとめに入り、落ち着いた空気が漂い始める。そのタ イミングを見計らっていたように、それまであまり口を挟まずに話の成り行きを見守っていた岡崎が声をあげた。
「みんなちょっといいか」
 会議の終了間際に課長からの言葉があるのは珍しいことではないため、課員達は何の話があるのだろうと呑気に話を聞く体勢に入った。約二名、この先の展開 が解っている者を除いては。
 そのうちの一人は櫻花である。それぞれの両親に結婚の報告を終え許可を貰って以降、いつ会社に報告するかという話し合いをしていた。結婚式は身内だけで 行うし、披露宴の日程はまだ決まっていない。だから先ずは上司である藤田部長に報告し、課員へはまとめてということで今日になったのだ。
 藤田へは、そういう理由があるのであまり大々的には発表しないで欲しいと念を押して報告すると、かなりの勢いで喜ばれたらしい。らしい、というのは、藤 田への報告は岡崎一人が行ったため、櫻花は後からその話を聞かされただけなのだ。しかもメールで。
 そしてもう一人は淡口だ。彼は岡崎の一方的な思惑で二人の交際を知らされた上に、近寄ってくる悪い虫を追い払うように言われていたのだ。それならば他の 企画課メンバーより先に報告するのが筋だろう、と岡崎は考え昼食時にこっそりと話をしてあった。
 淡口は一瞬驚いた顔をしたが、早晩そうなるだろうと思っていたとにっこり笑って祝いの言葉を口にした。そして「課長なら我慢できないと思ってました」と いう余計な一言も付け加え、なかなかに図太く育っている片鱗を見せつけたのだった。
 さて、二人が固唾を飲んで見守る中、岡崎は実にさらりと結婚の報告をした。
「私事で悪いが、来年の春に結婚することになった。式は嫁の地元で身内だけで挙げるが、別途十一月か十二月頃に東京で披露宴をする予定だから、よければ出 席してくれると嬉しい。諸々決まったらまた招待状を渡すから、その時はよろしく頼む。じゃあ、今日の会議はこれで終了」
 そんなことを言われて「はいそうですか」とはいくはずもなく、会議室は驚愕の声に包まれた。悲鳴に近いと言っても過言ではないだろう。
「ちょっと課長!それどういうことですか!?」
「結婚て!もっと詳しく!」
「まだあと十分ぐらい時間ありますよね!?ちゃんと話して下さい!」
 わあわあと詰め寄られる岡崎を見て、原がニヤニヤとわけ知り顔な笑みを浮かべている。
「やっと年貢を納める気になったってわけですか、はー、やれやれですね」
 これまで何も気づいていないフリをしながら二人の関係を見守って――というより岡崎をおちょくって遊んで――いたわけだが、これからは堂々とからかえる とあって実に楽しそうである。
 それにしても、と原は思う。事態は彼の想像より遥かに早く進んでおり、ここまで何年も我慢していたのに、手に入れた途端我慢が効かなくなってしまった岡 崎が可笑しくてたまらない。
 そんな上司に触発されてしまったわけではないが、自分もそろそろ身を固めようと密かに思う。会社内では誰が先に結婚しようが問題はないのだが、なんとな く上司が結婚するまでは、と考えていたのだ。
 先ほどの岡崎の言葉を聞く限り、披露宴は一年後だということだから、自分はそれより前にしよう。彼らのように挙式と披露宴を別にするということもなし、 秋なんていうブライダル業界のハイシーズンに式を挙げる必要も感じていない。
 その辺りの細々としたことは彼女と要相談といったところだが、まずは再度きちんとプロポーズをしなければならないだろう。全く予期していなかったせいで 心の準備もできていない。そういった意味では、あの上司カップルにしてやられたとも言えるだろう。だが悔しいのでそんなことは欠片も顔には出してやるもの か。
 原はふんわりした笑顔の裏でこのようなことを考えていたが、会議室にいる人間は誰一人としてそれに気づくことはなかった。なんといっても、今はほぼ全員 が岡崎に意識を集中しているのだから当然だろう。
 見れば岡崎は主に女性社員達に詰め寄られている。
「課長、総務には私が連絡して会議室使用の延長申請をしておきました。あと一時間、定時までここは我々のものです。フロアに戻ってから問い詰められたくな ければ、ここでゲロっておくことです」
 なんとも仕事の早いことで、たっぷりと尋問の時間を確保されてしまっている。こんな所で発表した理由を察し、内緒にしておいてやるから全て話せという交 換条件を出したのだ。
 そこまでされては岡崎も白旗をあげるしかない。心の中で櫻花に謝ってから、なんでも聞け、と唸るように言った。
「はい、では質問です。お相手の方はどんな方ですか?」
「そうだな。可愛くて、料理が上手で、一緒にいると心がほっとして、かつ、色々と気づかせてくれる人だ」
 本人が目の前にいるというのに、臆面もなくそう述べる。もちろんそれは岡崎の本音で、事情を知っている原と淡口はニヤニヤを抑えるのに必死だった。
「課長、その人とはいつ頃からお付き合いされていたんですか?このところ浮いた噂一つなかったと思うんですが」
「浮いた噂があった過去を知らないんだが……」
「まあそういうことは本人は知らないですよね。で、どうなんです?」
「今年の三月からだな」
 そこで一斉にきゃあ!と黄色い歓声があがる。交際八ヶ月で結婚を決めるというのは十分スピード婚の要件を満たしているだろう。これまで独身貴族を貫いて きた岡崎が結婚するというのは驚きだが、やはりこれは電撃結婚と言っても過言ではない。
 そうなると次に気になるのは順番を間違えたのではないのか、ということだが、十一月に発表して春に式を挙げるということは、それはないと考えていいだろ う。そう結論づけた女性陣は、次の質問へと移る。
「プロポーズの言葉、は教えていただけないでしょうから、そのシチュエーションをぜひ」
「旅行先の旅館で、夕食後に」
 岡崎の答えは実に簡潔だ。聞いても面白くないぞ、というのを言外に匂わせていたのだが、それを聞いた女性陣は大喜びである。だが、その中に一人、黙って 何かを考えこんでいる者がいる。彼女は先ほどから岡崎の質疑応答を聞きながら、どうしても拭えない違和感を抱いていた。何が、と言われても明確な答えを出 せないから悩んでいるのだが、この会議室に充満している空気のどこかがおかしいのだ。
 そしてここにきてようやく、その違和感に気付いた。いつもこういう話題には率先して加わるはずの人物が静かなのだ。それに気づいてから、よく観察をする とこの話に参加していない人物が全部で三名いることにも気がついた。
 それらの情報を繋ぎ合わせ、導き出した答え。それを岡崎にぶつけてみることにした。
「課長、奥さんになる女性って私達のよく知っている人じゃないですか?そう、篠塚さん、とか」
 そう言って櫻花を見つめる鴻野の言葉に、会議室にいた全員の視線が櫻花に集中した。思いもしていなかった展開に櫻花は固まるが、岡崎の目が「好きにして いいぞ」と言っていることに気づき、しばし逡巡した後に覚悟を決めた。どうせそのうちどこかからか話が漏れ伝わってくるだろう。それならば、今自分の判断 で事実を告げておいた方がいいし、それが筋というものだと考えたのだ。
「ええと、はい。鴻野さんのご想像通りです」
 櫻花の言葉に会議室は一瞬静寂に包まれ、その後、どよめきと黄色い歓声が爆発した。
「きゃー!ちょっと!それどういうこと!?」
「一体いつからそんなことになっていたんだよ」
「あっ、そういえば春頃から指輪し始めたわよね!?」
「ちょっと待て、課長と篠塚さん年齢差いくつだ?」
「やーん、年の差カップル萌えるわ〜」
「俺は若い嫁を貰う課長が羨ましいぞ」
「いや〜、それにしても、そうだったのねぇ」
「ああ、俺の癒しが……」
「ていうかさ、隣の川相くん、ご愁傷様よね」
「ははーん、それで淡口がガードしてたってわけか。課長、公私混同も甚だしいな」
 皆言いたい放題である。淡口の動きに気づいていた者、川相の恋心を察していた者など、なかなかに鋭いメンバーもいて、いずれは彼らに二人の関係を感づか れていただろう。そういった意味では、ここでカミングアウトできて正解だったのかもしれない。
「あー、ちょっといいか」
 課員達がひとしきり騒ぎ落ち着きを取り戻したところで、再び岡崎が声をあげた。その一言でざわついていた会議室は一瞬で静まり、それを見た櫻花はさすが 課長だと心の中で喝采を送る。岡崎も課長に昇格して一年、元々強面だったところに威厳が加わってますます渋みを増しているように思えるのだ。
 それは櫻花の“婚約者のひいき目”かもしれないが、最近社内の女性社員達から注目を集めているというのも事実なのだ。
 そんな櫻花の心の内などには関係なく、岡崎は静かに告げた。
「今はまだ、このことを知っているのは藤田部長とここにいる企画課メンバーだけだ。近いうちに人事には報告するが、しばらくは皆の胸の中に仕舞っておいて はもらえないだろうか?」
「もちろんいいですよ」
「課長も恥ずかしいでしょうしね」
「ていうか、課長って商品開発の女豹に狙われてたわよね。ギリギリまで黙っておいてびっくりさせてやりましょうよ」
「そうだった!篠塚さん、グッジョブよ!」
「うわあ、女はこえーなー」
「俺らは何も聞いてないことにしよう」
「そうしよう、そうしよう」
 皆それぞれに思うことがあるらしく、岡崎の提案はすんなり受け入れられたようだった。
 さんざん大騒ぎをした間に時間は矢のように流れていて、あと十五分で延長した一時間が迫ろうとしていた。
「よし、じゃあ今日の会議はこれで終了。淡口、戸締りと鍵の返却頼むな」
「はい」
 それから三々五々企画課のフロアに戻っていく課員達を見送り、櫻花は中畑と共に淡口の手伝いをしていた。もちろん、その間も中畑からは質問責めである。
「もーう、篠塚さんたらちっとも教えてくれないんですから!」
「ごめんね」
「淡口くんは知ってたみたいなのに、私はそんなに信用ならないですか?」
「あ、中畑さん、その件に関しては篠塚さんは悪くないです。課長が勝手に俺を仲間に引きずり込んだだけですから」
「うーわ、課長にそんな一面があるとは……。って、あれ?あれあれあれ?あの、篠塚さん、お弁当作るようになったのって彼氏と一緒に住み始めたからって 言ってましたよね?あれって、もしかしなくても、課長……?」
「そ、そうね……」
 忘れてくれていればよかったのに、と思っても口には出せず、櫻花は中畑の疑問に素直に答えた。今更嘘などついても意味がないのだから当然だが、できれば この件は他の人には内緒にしておいて欲しいと懇願しておくのも忘れない。
「はー、そうかー。篠塚さんの束縛彼氏は課長だったんですねー。その指輪、高そうですもん。納得、納得」
 ものすごく納得されてしまい、櫻花の方は納得できないまま会議室の片付けを終えた。鍵は淡口が返しに行くということで、中畑と二人で企画課に戻る。廊下 ではあまりそういう話もできないので当たり障りのない会話に終始したのだが、近いうちに終業後の飲みに誘いますからね、という空気はビシビシと感じてい た。
 まだ週の半ばだというのにぐったりと疲れ果て、定時で退勤していく櫻花の背中には生暖かい視線が注がれていた。櫻花もそれに気づいてはいるが、反応する ほどの力は残されていなかった。
 これからしばらくの間、皆のおもちゃにされるのかと思うと正直心がこそばゆいが、これもある種の幸せなのだろうから、甘んじて受けようと前向きに考える ことにした。