錦秋│06

 今時のカップルらしく、櫻花と岡崎の二人も結納や仲人に関しては必要ないと考えるタイプだった。そのかわりに、両家 の顔合わせと称した食事会を行うことになった。
 櫻花の実家の都合もあり、場所は山梨にある「リバーサイドグランドホテル山梨」に入っている、老舗洋食店で執り行われる。実はこのホテル、尚美の夫・江 川庸一朗の実家、江川観光開発グループのホテルである。
 当初は別のホテルで考えていたのだが、話を聞きつけた尚美が庸一朗と画策してねじ込んだのだ。もちろん二人とも山梨に来ていて、何かあればすぐに駆けつ けられるよう待機している。
 とはいえ、双方常識のある人達なのでそうそう問題が起きることは考えにくく、庸一朗の仕事にかこつけたお泊まりデートのようなものであった。
 また、両家は専務の客人ということで下へも置かない扱いを受けている。こういった扱いに慣れていない篠塚家の面々は恐縮しきりで、鷹揚としている岡崎家 の人達を見てはため息を吐くばかりである。
 ただ子供達はそんなことはお構いなしとばかりにはしゃいでいて、初めて会うお兄さんお姉さんである拓海と美海にまとわりついている。二人も小さな葵と眞 冬が可愛いらしく、仲良く遊んでいるため親は楽をさせてもらっている状態だ。
 ただ一人、岡崎だけはその様子を憮然とした顔で見ていた。
「眞冬の奴、俺よりクソガキどもの方がいいってのかよ、ちくしょう」
 自分のことなどすっかり忘れ、甥っ子姪っ子と遊んでいる眞冬を恨めしそうに眺めていた。要はヤキモチである。しかも相手は甥姪ということで、彼の兄嫁で あるかおるなどは冷ややかな目で見ていて、母・寿子は「あんたバカじゃないの」と呆れ顔だ。
 食事会は型通りの挨拶から始まり、それぞれ自己紹介が終わったところで計ったように料理が運ばれてきた。老舗洋食店ということで肩肘張ったようなもので はなく、それでいていて、通常より少し背伸びをしたといったような内容の料理だ。
 未就学児の葵と眞冬にはお子様ランチにアレンジしたものが、小学生の拓海と美海には大人と同じメニューだが少し量を減らしたものが運ばれる。
 といっても大人のメニューも洋食御膳ということで一種類ごとの量はそう多くはない。大きな漆塗りの器は六つに仕切られていて、エビフライとカニクリーム コロッケのフライ類、目玉焼きの乗ったハンバーグ、スパゲティナポリタン、オムライス、白身魚のムニエルがそれぞれ皿に入れられて鎮座している。
 それとは別にコーンスープとシーザーサラダが添えられており、ボリューム満点である。もちろん食後にはコーヒーまたは紅茶とデザートもついている。
 大人達はそれに加えてビールが、子供達にはオレンジジュースが配膳された。
 御膳というだけあって全て箸で食べられるように配慮されており、また、オムライスだけは箸では食べにくいということでスプーンもついている。まさに至れ り尽くせりだ。
 この洋食御膳に喜んだのは子供達より大人達の方で、大人のお子様ランチといった見た目に歓声を挙げた。
「うわあ、凄い!これ『ぼくのかんがえたさいきょうのおこさまランチ』って感じでたまらないわ!」
「かおるさん、上手いこと言いますねぇ。これでオムライスに旗でも刺さってたら完璧ですよね」
 両家の嫁同士はすっかり打ち解けていて、向かい合わせできゃっきゃとはしゃいでいる。といっても百合子の方は眞冬の世話もしなければならず、自分の食事 は後回しだ。
 世話をされる眞冬の方は心得たもので、大人しく食事をしている。およそ子供らしくない落ち着きぶりだが、こういう畏まった席に出席することもそれなりに 多いせいか、しっかりと躾をされているのだ。ただ、口の周りにケチャップがべっとりとついているのはご愛嬌だ。
 それぞれ料理に舌鼓を打ちながら歓談している。今の話題は山梨の特産品である。
「ほほう、では氏子さんにぶどう農家の方がいらっしゃる、と?」
「ええ。結構大規模にやってらっしゃる方で、一部を観光農園として開放しているぐらいです」
「ふむ……まずは味を確認してみないと何とも言えない所はあるな。ただ契約農家は喉から手が出るほど欲しいし……」
 櫻花の父・宗春に聞いたぶどう農家の話にすっかり心奪われた岡崎の父・信輔は、完全に仕事モードに突入していた。そもそも今回の顔合わせも、日帰りでき るのにわざわざ泊まりにしたのは半分仕事が目的だった。そのターゲットは以前櫻花に手土産として貰った日本酒である。
 かねてよりその造り酒屋と契約できないものかと考えていたのだが、今回篠塚家と顔合わせすることになり、これ幸いに宗春に紹介してもらおうと目論んでい たのだ。そこで更にぶどう農家の話などを聞いたものだから、信輔の頭の中はもうすっかり仕事のことしかないという有様である。
 そんな父親に慣れっこになっている岡崎は「程々にしとけよ」と一応釘を刺しておいて、後は放置している。何を言っても無駄だと解っているのだ。
 美味しい洋食を堪能した両家は、今はデザートを楽しんでいる。こちらも、洋食のデザートといえば、で真っ先に思い出されるプリンである。しかも今流行り のとろとろプリンではなく、固くしっかりとした昔ながらのプリンだ。
 ショートケーキのように切り分けられていることでも、そのしっかりとした固さが判るというもの。そこに生クリームを一搾りし、上には缶詰のチェリーがち んまりと鎮座している。生の果物ではなく、缶詰のチェリーというのがまたノスタルジック溢れる演出で、大人達の心をキュンキュンと刺激した。
 生クリームが添えられているため、プリン自体の甘さは控えめで、カラメルはどちらかというとほろ苦さが強い。だがこれが、大人には懐かしく、子供には新 鮮に感じられるのだ。
 美味しい料理にデザートを満喫し、皆大満足といった顔をしている。両家の顔合わせは大成功で、和やかなまま終了しようというその時、かおるが爆弾を投下 した。それは櫻花にとっての爆弾なだけで、他の人間にはなんのことはない質問だった。
「ねえ、櫻花ちゃん。その指輪、婚約指輪よね?凄く綺麗な桜だけど、どこのブランドで買ってもらったの?よくそんなピッタリなデザインがあったわね」
 そうなのだ。結婚指輪と重ねづけして初めて桜だと判るデザインにする、石はメレダイヤのような小さいもので、という話だったのに、それとは別にネックレ スと同じデザインの指輪も出来上がってきたのだ。
 こんな高価なものは受け取れないという櫻花と、せっかく作ってもらったんだから受け取れという岡崎で一悶着あり、柴田の「アタシの力作が受け取れないっ て言うの!?いいから貰っときなさい!あと威夫ちゃん、だからこういうサプライズは引かれるわよって言ったでしょ!」という言葉で双方戟を納めることと なったのだ。
 職場へは最初に考えてもらったシンプルなデザインのものを、それ以外の場へはネックレスと同デザインのものをつけていくということで話がまとまり、今日 は大きい石の方をつけてきたというわけだ。
 ここまで誰にも何も言われなかったので、自分が意識していたほど目立つものではなかったのかと思っていた櫻花だったが、どうやらそれは思い過ごしだった らしいとようやく気がついた。皆、いつその話をしようかとタイミングを見計らっていたのだ。
 さて困ったのは櫻花だ。ブランド名を言えばこれが店舗販売商品ではないことが露見してしまうが、この将来の義理の姉には黙して語らずというのは通用しそ うにもない。櫻花は、もしかしたら岡崎の散財に対して一言物申してくれるかも、という一縷の望みをかけて正直に言うことにした。
「ええと、ジョーカーというブランドで……」
「え、嘘、やだ、それ柴田義史に作ってもらったの!?いやーん、羨ましい〜!一体どういう伝手でそんなことになってんのよー!」
「ど、どうしてそれを……」
「いやあねえ、そんなのすぐ判るわよ。だって私あそこのお得意様だもの。って言っても、メルマガに登録すれば誰でもなれるただのファンなんだけど。それで 新作が出る度にメールで案内がくるのよ。でもその中にはそんな指輪なかったということは、オーナー直々に作ってもらったとしか考えられないじゃない。ね え、どうしてそんなことになってるの?どんな魔法を使ったのよ?」
「ええと……」
 正直に答えるべきかどうか、櫻花には判断がつかなかった。これは岡崎の極めて個人的な話に大いに関わっているのだ。助けを求めるような目で岡崎を見れ ば、仕方ないなといった顔をして話を引き継いでくれた。
「あのオッサン、俺の友達なんだよ」
 これ以上は何も言わない、というオーラを纏い口を閉ざす。同級生の義姉がジョーカーのファンだというのは考えてもいないことだったらしく、ここにきて初 めて、少しだけ失敗したなと考えていた。あくまで少し考えただけで、櫻花にこの指輪を贈ったことを後悔などしてはいなかった。ただ、今日のことを考える と、今後公式な場などで同じように訊かれることもあるということが想定できる。今のうちからその対策を考えておくべきだな、と別の方向に考えが及んでい た。
 最終盤に一波乱あったものの、それは問題と呼べるようなものではなく、食事会はごく和やかに幕を閉じた。
 篠塚家はすぐに帰宅し、岡崎家はこのままホテル泊となる。とはいえ大人は皆酒が入っているため仕事にはならないし、今日は一日のんびり過ごすことになる だろう。
 信輔と宗春は翌日一緒にぶどう農家と造り酒屋へ出向くことになっており、ここでなんとか取引先を増やすぞと鼻息も荒い。宗春としても氏子の商いが上手く いけば喜ばしいことであると、岡崎家に紹介することに躊躇いはない。
 今日の食事会で会話をして人となりはそれとなく把握したことも大きいだろう。いくら娘婿の親の会社だからといって、見ず知らずの人間を紹介するというこ とはなかったに違いない。
 洋食店の前でそれぞれ両家族を送り出した後、櫻花と岡崎は江川夫妻が宿泊している部屋へと向かった。もちろん今日の礼を言うためである。
 さすが専務夫妻といったとこだろうか、宿泊しているのはスイートルームだった。全三室あるスイートは江川夫妻、岡崎家で独占している形だ。ちなみに櫻花 達は、今日こそは、と手ぐすねを引いて待っていた百合子や期待で目を輝かせている子供達に負けて、櫻花の実家に泊まることになっている。
「櫻花お疲れ〜。あ、課長もお疲れ様です」
「俺はついでかよ」
「まあまあ、タケさん。で、どうでした?何か不備はありませんでしたか?」
「庸ちゃ〜ん、庸ちゃんだけだよ、俺のこと気遣ってくれんのは〜」
 えぐえぐと泣き真似をするが、三十代後半にさしかかろうかといういい年齢の、しかも身長百八十六センチの大男がそんなことをしても可愛いはずもなく、尚 美は岡崎に白っとした目を向ける。
「ほんっと、課長って会社とプライベートは別人よね。騙されている人間のなんと多いことか」
「そこまで別人って感じもしないけど……でも私はどっちの威夫さんも好きだよ」
「はいはい、ごちそうさま。のろけに来たなら帰った帰った」
 しっしっ、と猫でも追い払うように手を振られ、櫻花は慌てて手土産を差し出した。
「もう、尚ちゃんそんな意地悪言わないでよ。江川さん、今日は色々とありがとうございました。これ、うちの神社の氏子さんの所で作っているお酒です」
「ああ、これが噂の。大事にいただくよ」
「それでもうひとつ、ご相談したいことがあるんですが」
「披露宴のことだね?尚美から聞いているよ。来年の秋だっけ?」
「はい。威夫さんのお友達が特殊なお仕事をしている方ばかりなので、それで……」
「悪ぃな、ちゃんとした所でないと色々面倒でなぁ。頼めるか?」
「ええ、もちろん。印がついている所を全部仮押さえしています。日程が決まり次第連絡下さい」
「サンキュー、庸ちゃん。派手にはしねえけど、飯とかにはたっぷり金かけっから」
「お気遣いなく。俺も今から楽しみにしてますよ。……まさか尚美だけ呼ぶとかないですよね?これだけ仲良くしているのに、そんなバカな話はないですよ ね!?俺だってプロ野球選手とお知り合いになりたいですよ!?」
 江川のあまりの勢いに、さすがの岡崎も押され気味である。もちろん夫婦揃って呼ぶつもりだが、まさか大きなホテルチェーンの経営者一族がそんなことで必 死になるとは思ってもいなかった。職業柄有名人と顔を合わせることなどしょっちゅうあるだろうに、それとこれとは話が違うということなのだろう。
 その後しばらく談笑していたが、そろそろ葵と眞冬が待ちきれなくなる頃だろうということもあり、江川夫妻のもとを辞去することとなった。
「じゃあ櫻花、また会社でね。課長とは……あんまり会社でも会うことないですけど、また」
「西本お前ほんとヒデーな!?俺のこと上司だなんて思ってねえだろ!なあ庸ちゃん、俺のこともっと尊敬するよう言っといてくれよ?」
「そうですね。でも俺としては尚美とタケさんが仲良くなくて安心できますけど」
「なんだよー、お前もかよー」
 岡崎が大げさにがっくりして見せると、その場が笑いに包まれる。
 名残惜しいが、東京に戻ってもまた会える。なんと言っても、江川以外は皆同じ会社に勤めているのだ。
 櫻花達は今度こそ江川夫妻と別れ、地下駐車場へと向かった。櫻花の実家に着けば子供達を構い倒して、夜ぐっすり眠れるようにするという大仕事が待ってい る。
 結婚式までの間にいくつかある山をひとつ乗り越え、ほっとすると同時にこれが現実なんだと改めて感じる二人だった。