終章

 満開の桜の下を花嫁行列が進んでいく。身内だけの式のはずが、なぜか境内には氏子衆が大集合しており、花嫁に惜しみ ない拍手が送られる。
 花婿は照れて俯く花嫁を慈しむような目で見ている。綿帽子で顔のほとんどが隠れている上に身長差があるため、実際には照れている所など見えはしないはず なのに、顔を真っ赤にしている様子が手に取るように判っていた。
 櫻花の白無垢姿はそれは美しく、着付けをされた姿を見た時には息が止まるかと思ったものだ。かくいう岡崎も、これ以上ないほど紋付袴姿が似合っている。 身長が高いだけでなく、筋肉質で身体に厚みがあるため、着物に着られているという感じがしないのだ。
 浴衣姿も様になっていたが、着物を着慣れているせいか所作も美しい。それは櫻花も同じことで、危なっかしさというものを感じない新郎新婦を先頭に、堂々 たる花嫁行列が本殿へと入っていく。
 実は今日この日を迎えるにあたり、相当に揉めた。というのも、誰が斎主を務めるかで意見が割れたのだ。
 ここは櫻花の実家の神社である。それなりに由緒のある神社ではあるが、全国から参拝者が訪れるような大きな社ではない。神職は櫻花の父と兄で、二人とも 新婦の親族だ。ということは、親族として参列するなら、別の神社から神職を派遣してもらわなければならない。
 宗春は、娘の結婚式に父として参列したい気持ちと、斎主として式を執り行いたいという気持ちの間で揺れ動き、なかなか答えを出せないでいた。兄の千秋は 「せっかくなのだから父として参列すればいい、斎主は自分が務める」と言い、母の千代子は「どうせならお父さんがすればいい」と言う。どちらの言い分にも 頷けたため、宗春が結論を出せないでいると、今度は千秋と千代子の間で大論争が始まってしまった。
 あまりに話が決まらないため、こういうことは相手の家に了解も取らずに決めるわけにはいかないと、岡崎家にお伺いを立て、飛び火をした。当然そちらでも 意見が割れた。
 決定打となったのは、信輔の「うちは息子二人なので、誤解を恐れずに言うならば新郎の父というどうでもいい存在しか経験したことがない。ただ、花嫁の父 というのは特別だという。せっかくその立場にいるのなら、それをみすみす手放すようなことはしない方がよいと思う」という意見だった。それに深く得心した 宗春は、斎主を千秋に譲ることにしたのだ。
 ということで、全員が席に着くと礼装姿の兄・千秋が入場してくる。いつものほほんとしている姿しか見たことがなかった岡崎は、きりりとした顔つきの千秋 に少し驚いていた。ただ、これから式が始まるということで、そんなことに気を取られている場合ではなかった。
 修祓の儀、斎主一拝、祝詞奏上、三献の儀、誓詞奏上と続き、指輪交換の儀でいよいよ結婚指輪の交換をする。櫻花は柴田渾身の作であるこの指輪を見るのは 今日が初めてで、左手の薬指にはめられたそれに見とれて次にやるべきことを一瞬忘れてしまうほどだった。
 慌てて岡崎の左手薬指に指輪をはめると、感無量になった。お揃いの指輪がはまっているのだ、それも仕方のないことだろう。
 玉串奉奠、親族杯の儀と式は滞りなく進み、斎主一拝で無事終了となった。その間、櫻花はここまでの長い道のりを思い出していた。想いが通じ合ってからは 怒涛の日々だったが、それまではただただ心の中で想うだけの毎日だったのだ。今ではそれが片恋ではなかったと知っているが、お互いにそれを心に秘めていた のだから、当時の櫻花が知るはずもないこと。
 恋心を押し込め、憧れだと己に言い聞かせていた日々。どうせ叶わぬのだから、彼の人が結婚するまで心で想うぐらいは許されるだろうと諦めていた日々。つ まらぬ横やりが入りそうになり、ようやく決心がついたあの日。せめて釣り合うような人間になりたいと、上を向いて歩くことにしたあの日。
 今の自分があの頃なりたかった自分かどうかは判らないけれど、夢がふたつ一度に叶ったことは間違いない。
 そのうちのひとつが、この結婚式だった。櫻花は自分からここで式を挙げたいとは言わなかった。いくら子供の頃からの夢だったからといって、それを押し通 すつもりはなかった。なんといってもここは山梨で、忙しいであろう岡崎家の人々をここに呼ぶのは憚られたのだ。
 それを、岡崎が自分から提案したのだ。櫻花が何も言っていないというのに、だ。櫻花の心を読んでのことか、それとも岡崎が心からそう思ってのことかは判 らない。訊いてもいいが、恐らくはのらりくらりと答えを躱されるだろう。
 でもそれでいい、と櫻花は思う。全てをつまびらかにする必要などないし、その気持ちだけで十分だった。
 本殿を出ると、先程と変わらず氏子衆が待ち受けていた。その人数は増えているようで、あちらこちらから祝福の声が上がる。櫻花と岡崎は感謝を込めて頭を 下げた。



 披露宴がわりの食事会を終え、宿泊先の温泉旅館へと戻ってきた二人は、居間に身体を投げ出してぐったりしている。双方の家族しかいなかったとはいえ気疲 れもするし、特に櫻花は白無垢の窮屈さにすっかり参ってしまっていた。いくら和服を着慣れているとはいえ、白無垢の重さは訪問着のそれとは比べ物にならな い。
「はー、疲れたー!櫻花は本当にお疲れさん!俺あんなの着ろって言われても無理だわー」
「私だって二度は着たくないですよ……」
「そりゃあなー。もう一回着るってことは俺と離婚して別の誰かと再婚するってことだからな。そんなん許すわけねえし」
「そういう意味じゃないんですけど、そう言われてみたら確かにそうですね。私だって嫌ですよ」
 そんな話をしながらひとしきりダラダラした後、温泉に浸かって疲れを取ろうということになった。ここは岡崎が初めて櫻花の実家を訪ねた際に泊まった所な のだが、今日は部屋に露天風呂がついている部屋を取っていた。
 既に同居しているとはいえ、一応新婚初夜を迎えるのだ。その旅館で一番いい部屋を、と思うのも無理からぬことだろう。といっても岡崎が選ぶのは常にいい 部屋なので普段とあまり変わりはないのだが、前回はこの部屋が取れなかったのでそのリベンジという意味もあった。
 まだまだ明るい春の夕刻、露天風呂に浸かっていると少し冷たい風が頬に当たって気持ちがいい。ふぅ、と息を吐くとそれだけ疲れが抜けていくような気がす る。
 隣で岡崎がばしゃりと顔を洗っている。その左手薬指には、真新しい結婚指輪がきらきらと輝いていた。櫻花はそれを見てようやく、本当に結婚したのだな、 とじわじわと実感が湧いてくるのだった。
 しばらく黙って湯に浸かっていたのだが、櫻花がふと思い出したようにぽつりと漏らした。
「そういえば、あのお見合いの話の時にくれた指輪、どうしてあんな高そうなのだったんですか?結婚したからいいですけど、何もなければ威夫さん大損じゃな いですか」
「んー、あれなあ。だって、誕生石とか誕生日石を調べてたら“スリーゴールド”っつうのが出てきてさー。そんならとりあえずカルティエでよかんべ、と思っ てよ」
「いや、とりあえずで選ぶブランドじゃないと思うんですけど……っていうか、私の誕生日知ってたんですか?」
「そうじゃなきゃ誕生日石調べようもねえだろ」
「私なんて威夫さんの誕生日知らなかったのに、いつそんなことを……」
「ふひひ」
「ふひひ、じゃないですよ、もう」
「これからは結婚指輪だから、あれもう出番ねえんだよなー。そう考えるとなんか寂しいっつーか、なんつーか」
「そうですね。私にとっては想い出の詰まった指輪ですから」
「俺もだぞ?」
「本当ですか?だって、随分堂々とサイズを訊かれた気がしますけど」
「そらそうだろ、俺の下心がバレたら計画がパーなんだから」
 一体どんな計画だったのかを知るのが怖い。櫻花はそこには言及しないことにした。
 思い返してみれば、あれが全ての始まりだった。あれからまだ一年三ヶ月ほどしか経っていないというのが嘘のようだ。それだけ濃密な日々だったということ の現れだろう。
「あー、早く子供欲しいなー。運動会で子供に父ちゃんのいいトコ見せてやりてえ〜。でもなあ、披露宴あるしなあ。櫻花の負担になるし、解禁すんのは披露宴 終わってからだなあ。くっそ、こんなことなら徹達のこと気にかけてやるんじゃなかったな」
 そうなのだ。今日がゴールではなく、新たな日々のスタートなのだ。きっとこの一年三ヶ月より充実した毎日が待っているはずだ。夫婦二人の生活から始ま り、まだ見ぬ子供達も加えて家族が増えていく。その子達が将来結婚し、孫の顔も見られることだろう。
 楽しいことばかりではなく、辛いこともあるだろう。それでも、家族が力を合わせて乗り越えていければいい。そしていつでも、隣には夫となった人がいてく れれば、それだけで幸せだ。
 櫻花は未来に思いを馳せ、そっと生涯の伴侶に寄り添った。


かりそめ、これにて終了です。ありがとうございました。今後は、不定期に後日談をアップしていきたいと思ってい ます。